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curiouser and curiouser





不思議の国へ、うさぎ穴を落ちたらば...一昨日
続きです。




先日、何か(芸術作品や旅先の街、本など)を鑑賞するときは、鑑賞する側に素養があればあるほど面白くなるものだ、という話をした。

たとえば作品の文化的・歴史的背景はもちろん、仕込まれているパロディやオマージュなど、作者が送ってくるサインやウインクをキャッチできればできるほど面白くなる。

上の写真の誰でも知っている「チェシャ猫」ひとつとっても、単に不気味でかわいい猫だと思うか、慣用句などを知っているかでは楽しみの度合いが違う。



ジョン・テニエルのイラスト大好き。
ルイス・キャロル自身の味わい深いイラストも展示されていたが、写真撮影不可だった。



ロックダウンのために開催が中止されていた、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館の不思議の国のアリス特別展 "Curiouser and Curiouser” へ。

『不思議の国のアリス』は、19世紀にルイス・キャロルによって語られ、出版されてから一度も廃盤になったことのない古典だ。
シェイクスピアと並んで英国が誇る超有名な作品であると言っても過言ではなく、世界各国で翻訳され、映画や舞台芸術、ポップカルチャーが何度もオマージュが捧げられている名作。
(ちなみに、バレると困るのがパクリ、バレないと困るのがパロディ、バレると嬉しいのがオマージュなのだとか)

わたしも『不思議の国のアリス』のナンセンスが大大大好きだ。



バーチャルリアリティを楽しむ人々。シュールだ。


しかし、この展覧会は期待外れだった...

期待外れだったのは上に書いたように素養のないわたしのせいであろう。





バレエ版、『不思議の国のアリス』のポスター。どちらもとても魅力的!!


それはそれとして、アリスが冒険する不思議なすばらしき世界、意味づけを嫌う底抜けのナンセンスを一元化して、取りまとめて、解説を加えて、美術館の箱の中に再現しようというのが土台無理なのかもしれない、と感じた。




話が少々それるが、今、水野和夫・山本豊津の対談『コレクションと資本主義「美術と蒐集」をしれば経済の核心がわかる』を読んでいる最中で、

美術館とは「世界中の価値を集め、自分たちの価値観によってそれらを体系化し、「世界を所有すること」です。そして、それらを一般に公開することで、所有している「自分の立場と力を誇示すること」なのです」

「所有する側はつねに、所有される側の上に立ちます。(中略)コレクションを無料で公開しているのは、決して気前がよいからではありません。コレクションを公開することで自分たちの力を誇示し、ヒエラルキーの上位にいることを世界中の人に知らしめたいという意図と戦略がある」

という下りがあり、膝を打ったのだった。

アリス世界はそういうもの(帝国主義的)を超え、無化し、意味をずらしていく。



Canova 三美神


わたしの感想では、この展覧会のハコである、ヴィクトリア&アルバート美術館の、蒐集に対するオブセッション(強迫観念)自体が狂気、タガが外れたナンセンス、常識はずれだ。何もかもがシュールすぎる。

意味づけせんと意図しながら大量に蒐集されたものは、ガラスケースに入れられるなり、鑑賞物以外の用途を剥奪され、意味を拒否しているかのよう。




銀のスプーンがつまった引き出し(上の写真)、古今東西のやきものであふれかえり落ちて来そうなほどのガラスケース、銀河をカプセルに閉じ込めたような宝石の部屋(下の写真)、メタルでできた門や鍋...




こんなものをよく英国まで持って来たのだと感心するような中世の巨大な柱の前で自分の身体が小さくなったと感じたり、ミニアチュールを覗き込むと身体は大きくなったようで、静かな仏像の微笑みの前で記憶の底に落ちていくような感覚におそわれたり、女王様のスカしたお顔に苦笑してしまう...





赤の女王


など、ここがすでにワンダーランド、なのであった。



マーゴ・フォンティンの『ジゼル』のコスチューム



一方で、『不思議な国のアリス』の映画、これは絶対に見たい! 
ダークなファンタジーの大好き。
チェコスロヴァキア映画 ヤン・シュヴァンクマイエル『アリス』(原題はSomething for Alice)

この週末、海辺で見るかな...


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