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Brugge Style
ウィーン楽友協会とバレンボイムの永遠
大好きなオーストリアに来ている理由、今回はふたつある。
ウィーン楽友協会 (Musikverein Wien)でマルタ・アルゲリッチのリスト協奏曲第1番を聴くこと。
指揮は年頭に音楽総監督職を辞したバレンボイム。
もうひとつがホテル・ザッハーに宿泊すること...
雪の残る山に囲まれたザルツブルグと別れ、快適な電車に乗って東へ2時間少々、途中でリンツやメルクを通り過ぎ、ウィーンへ到着。
2023年の年明け、ダニエル・バレンボイムはベルリン国立歌劇場ウンター・デン・リンデンの音楽総監督の職を辞した。
火曜日の夜、彼がウィーン楽友協会の舞台に登場するや、観衆はセンチメンタルな大喝采を浴びせかけた。
ブーレーズの揺らぐようなLivre pour cordesで始まり、頭がぼうっとしたあと、舞台にバタバタとピアノが設置され、青い薔薇アルゲリッチが登場。
ピアノのスツールの高さが合わずハラハラした。なぜ誰も合わせて差し上げないの...弘法は筆を選ばないのか、そのまま始まった。
リストのピアノ協奏曲第1番、最初ものすごいミスタッチが(同じ音で2回)あったのだが、決して、決してアルゲリッチはわたしたちを退屈させない...
まるで彼女はいちいち自分の演奏に驚いているかにも見える。大胆で爽快、自分の力に驚きつつバリバリとリズムに乗って突き進む大きな生き物のような演奏だった。
リスト本人が聴いたら絶対喜びそう。
アンコールは年明けベルリンの公演と同じく、ビゼーの『子供の遊び』から『小さな旦那様、小さな奥様』Petit mari, petite femme! を連弾した。
スタンディングオベーションやまず。
インターバル後はこの世のエンドレス、ベルリオーズの「幻想交響曲」。
ベルリオーズ...お好きですか? わたしは...うむ。
当初はチャイコフスキーの「悲愴」が予定されていたものの、バレンボイムの希望でこの曲が演奏されることになったそうだ。
たまたま調べたら
「(リストのピアノ協奏曲第1番)初演は1855年2月17日、ヴァイマルの宮廷で行われた演奏会にて、エクトル・ベルリオーズの指揮と作曲者自身のピアノによって行われた。」そうなのでオマージュなのかもしれない。
が、(失礼な言い方だが)わたしにはバレンボイムが、少しでもこの世での時間を長引かせようとしているように思えた。
音楽は「時間」そのものであるからして。
われわれがこの世の舞台を去った後も楽友協会は存在し、音楽は奏でられるであろう。音楽家こころのー未練ーでーしょおー、と。
終了後は正面のインペリアルのメイン・バアかザッハーのブルー・バアへ行く。
今回はインペリアル。こちらも学友協会同様、ウィーンのチョコレートの包み紙のよう...
そして夜中の街歩きもまた楽しや、ウィーン。
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