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Brugge Style
fin-de-siecle vienna(セセッション館とベートーヴェン・フリーズ)
1983年に出版されたカール・ショースキー著「世紀末ウィーン―政治と文化」はラヴェルのワルツで始まる。
ブラームスでも、ブルックナーでも、マーラーでもなく、シュトラウスのワルツ「美しく青きドナウ」でもなく、ラヴェル。ラヴェルのワルツ!
憧れのセセッション館でクリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」をAn die Freude! An die Freude!と見学した後、表に出て道路の反対側から写真を撮っていたら、大きなウイーン地図を持った男性から「この建物はいったい何なんですか? さっきからみなさん写真を撮っているけれども」と英語で話しかけられた。
その質問の調子には、ウィーンにはバロックや折衷様式の美しい建物があるのにこのヘンテコな建物にみなが注目しているのはなぜなのか意味がわからない、といったトーンがあった。
「19世紀の終わりごろ、新しい芸術スタイルを求めたウィーン分離派によって建てられた建築です。美と実用性の一致を重視したそうです。内部には同時代のクリムトがベートーヴェンの第9に霊感を受けて描いた「ベートーヴェン・フリーズ」という壁画がありますよ」
と言った。淀みなく説明できたのはわたしが世紀末ウイーンの文化に狂おしいほどの憧れを抱いているからだけではなく、たった今内部を見学してパンフレットを熟読したからである(笑)。夫はわたしの説明のうまさに感心してくれた。
その男性は腑に落ちないという顔つきで連れの女性に何か言い、また「それは見る価値がありますかね」と真面目な顔で聞いてきた。
わたしは「もちろん!」と即答したが、内心は「なんでわたしに聞くねん」だった。わたしの意見を取り入れて入館料を支払い、「つまらなかった」と感じたらお金を返せというような形の質問だと思ったからだ。
100円を入れたら100円の商品が必ず出てくると考える消費者マインドはこんなところにまで...
芸術作品を鑑賞して自分が多少変わることと、鑑賞にかかる時間と金額というのは全く非対称で換算できないと思うのだが。
自分の手持ちの短いものさしで、この世のすべてのものが測れると思うのは間違いである。短いものさしではどんな価値があるのかを測れないものごとがあるからこそ、いろいろなものを経験すべきなのではないだろうか。人間は自分のものさしで計量可能なものだけが「世界である」と思いがちであるにはしても。それに価値があるか判断できかねるそのことが、それを見るべき理由そのものであるような気がするのだ。
わたし自身、先日、今の世の中で主流のある種の文化に対してあまりにも酷薄すぎると指摘されたばかりなので、もちろんこれは自戒でもある。
「自由と進歩のみが芸術の世界の目的です」(ベートヴェンの手紙より)
世紀末ウイーンといえば来月からはロンドンのロイヤル・アカデミーでクリムトとシーレの展覧会が開かれるのでとても楽しみにしている。
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