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Brugge Style
世界劇場 theatrum mundi ウィーン
90年代始めに2度目のウィーンを訪れた時、ベルリンの壁は崩壊したばかりで、バルカン半島では紛争が続いていた。
ウィーンはバロックや折衷様式の建物が典雅で美しく、観光名所も豊富、音楽などの催しも現世的な楽しみも多く、一方で古く厳格で、観念的で、地理的にもヨーロッパの東の方なのだと強く感じた。
「ドナウを渡るとそこからは東洋」
なるほど。
パリやローマと比べて好きじゃなかったかというと全くそうではない。
政治的センスにあふれた良妻賢母のマリア・テレジアがいまだに清く正しく支配しているような雰囲気が好きだった。
世俗権力の誇示と、聖なるものへの賛美が表裏一体になったあの雰囲気。
あれから30年近く経っているとはいえ、この街は包み込むような重さから解放されていた。
単に10月中旬の気温20度越えの狂った天候のせいだったかもしれない。
バロックや折衷主義のその過剰さをぜひとも写真に収めたいのに、どこもかしこも大きくてフレームに入りきらないところは変わっていない。カメラなどという小市民的な記録機械などはハナから想定されていない壮大さ。が、やたらと軽やかできれいな街になっている。
「ポチョムキン都市」と揶揄されたウィーンだが、今の方がよりポチョムキン的なのかも...
そういえば今年立て続けに訪れたチェコもワルシャワも、30年前の、あの街中がどこもかしこも黒く煤けて電灯も満足についていず、汚れ放題だったのが、洗浄機にかけたかのように軽やかでこざっぱりしたきれいな街に変身していて驚いたのだった。
ウイーンに似た街が多いと感じるのには根拠があった。池内紀著の「ウイーン」には、昔からひと山当てるべく東西南北から人が集まり、大貴族にのし上がった根が田舎人の彼らが里帰りしてクラクフやブラチスラバ、トリエステにウイーン風の宮殿を建てたというのだ。なんと愉快。
きっかけは何だったのだろう。ユーロの統一? それともグローバル化? 人の衛生観念やヘルシー志向が向上したのだろうか?
なぜ、どの首都も似たような感じになってしまうのか。それともわたし自身が変わったのか?
もちろん煤けて汚れて重苦しいよりは軽やかな美しさの方がいいに決まっている。
でもマリア・テレジアはいったいどこにいってしまったのだろう。
上田浩二著「ウィーン よそものがつくった都市」は、ウィーンを「世界劇場」と呼んでいる。
「世界が神のつかさどる舞台であるなら、舞台にあるものすべてが神の意志を表現するはずだ。こうして、すべてに寓意的な意味があたえられる。ハプスブルグを頂点とする現世の秩序は、この劇場の寓意となりこの舞台を飾る」
マリア・テレジアでさえも、巨大な劇場の一登場人物だったようだ。
それでもウィーンは大好きだ! 昔からカラフルだからこそ端正方向への力が働くのだろうか、そのバランス、マッチングがすばらしい。女性がものすごく親切でフレンドリーなのにはちょっと感動した。チャンスがあったらぜひ住んでみたい。
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