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theatrum mundi




今回のイタリアひとり旅の目的はこちらだった...

はじまり、はじまり。







まず会場は、パルマのパラッツォ・デッラ・ピロッタ(Palazzo della Pilotta)内にある17世紀の美しき劇場、テアトロ・ファルネーゼ(Teatro Farnese)。
パノラマ写真がブレブレなのは許して...難しいですね。




テアトロ・ファルネーゼはプロセニアム・アーチを備えた最古の劇場であり、これの発明によって、劇の背景や場面の転換が可能となった。
プロセニアム・アーチとは舞台上にあるあの額縁のこと。普通はこの枠の中で「劇」が行われる。

また、観客席は、ギリシャやローマの半円形階段状と異なり、U字形段状なのが特徴なのだそうだ。


会場となるこの劇場自体の洗練された美しさもさることながら、こちらでフォルナセッティの展覧会『世界劇場』Theatrum Mundi が開催されている...





『世界劇場』という概念は、この世界を「劇が演じられている舞台」ととらえる。
われわれ人間はその舞台上で繰り広げられる劇の登場人物である。
誕生するやいなや(いや誕生前からか)、否が応でもこの舞台上にひきずりだされ、割り当てられたり、引き受けた役回りを、時と場合によって演じ分けているのである。

シャイクスピアが『お気に召すまま』の中でこのように言わせるのは有名だ。
All the world's a stage,
And all the men and women merely players;
They have their exits and their entrances,
And one man in his time plays many parts

世界は舞台
人は役者
登場し、退場し、
その間にさまざまな役柄を演じ分ける(訳はモエ)


また、ハイデガーはこのように言う。
人間は世界劇場で役柄を演ずるために世界という舞台に投げ入れられる(これが有名な概念「投企」)、そして投げ入れられるや世界劇場の役柄になりきっていく。まるでそれが当たり前であるかのように。




鋭い方はお気づきかと思うが、この考え方には、「ほんとうの私」や「自己」はそもそも存在しない。

人間と社会の働きを説明するため「ドラマツルギー」という用語を使った社会学者ゴッフマンは、
「重要なことは、人が担う役割の背後で彼がどのような種類の人間であるかについて、それらの役割を演じることを通して具備されるその意識である」とする。

彼は、人間あるいは自己とは、役割を演じることによって自分が誰であるかと意識する、その意識である、と言っている。その逆(=考える自己があって生まれる意識)ではない。

つまり、人間の本性とは、「ダイヤモンドの原石」としてもともと生まれつきに備わっているようなものではなく、文化価値の中で役柄が演じる相互作用の結節点にすぎない、というのである。

そうなのだ、仮面をとったところでそこにあるのは「素顔」ではないのである。




そう思ったところで、ファルネーゼ劇場の観客席にごまんと並べられたフォルナセッティのTema e Variazioni (オペラ歌手リナ・カヴァリエリの顔が一つの主題として無限に変奏される)は圧巻であった。

観客席のリナ・カヴァリエリはロゴスである。




展覧会の会期自体は、当初今年の2月までの開催だったのだが、あちらもロックダウンなどの影響があって延期を重ね、ついにこの9月末までの開催となった。

わたしは一年前から飛行機のチケットを取っていたものの、英国からイタリアへの入国はずっと隔離が必要で、隔離期間が5日間に短縮されたときに行こうかとかなり迷ったのだった。

そしてついにこの9月から隔離なしで行けるようになったので飛行機に飛び乗った。




わたしには珍しく、ボローニャ駅でぶらぶらしすぎてミラノ行きの高速鉄道に乗り遅れ、44ユーロ、約7千円をパアにしてしまう(笑)アクシデントもあった。

ボローニャ駅の大きさを見誤っていた。高速鉄道は別駅舎の地下2階部分まで行かねばならなかったの...
自分がディアーナー(アルテミス)のようには早く走れないということをすっかり忘れていた。

こんなアクシデント、わたしにはあまりない。軽犯罪にもあったこともないし、意外にしっかりしているのよ、モエは。

発車しようとする車両のドアをバンバン叩くと、笛をくわえて目を丸くした車掌さんに隣のドアへ走れ! と指差しされたが間に合わなかった(笑)。中のデッキの男性が扉開閉ボタンを強打してくれたのは漫画のようだった(笑)。

別の、もっとよい連絡の電車を探してくれた窓口の若い女性が親切で女神に見えた。


ひとり旅、楽しかったです。
夫と旅をすると全部世話してもらえ、どんどん何もしない人になってしまうので、時々はひとり旅しよう。
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