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st james'sの紳士



Florisの、クラシックで美しい店先。大好き。
薔薇のうがい薬(マウスウォッシュではない)を愛用している。




向かい側の教会と花屋さん。




『くるみ割り人形』の舞台装置のようなこの時期のウインドウ。



セント・ジェイムズ辺りに軒を並べているような商店の、紳士物の、シックな道具類を見て歩くのが好き。
凝りに凝った細部への異常な執着。「これぞ美学」が見られる。

ある時期からは「英国紳士」が男性の服装の基準になり、19世紀のダンディの時代には、フランス人に対してでさえ「英国紳士」のように見えるというのが最高の賛辞だった。


......


男性の、特に王族や貴族のファッションは、18世紀後半になるまでは、分かりやすく華やかでド派手であった。
16世紀後半、エリザベス一世の時代には「女は男のように派手になり、男はバケモノになっている」と酷評されたほどである。

それがなぜか18世紀後半のある時、上品で落ち着いた「英国紳士」ファッションが定番となった。

大仰で奇抜なおしゃれから、洗練された質実剛健、禁欲的で、素材や細部に凝る「分かりにくいおしゃれ」に。

なぜそのように変わったのだろうか。


上は貴族から下は貧民まで、流行と一体になった贅沢には、英国では14世紀から16世紀までにしばしば発布された「贅沢禁止令」からも知られるように、結局取り締まることはできないパワーがあった。

最先端を行くのは、いつの時代も財産と暇のあるものである。
彼らのおしゃれや贅沢は次々にすぐ下の階級から真似されるさだめであり、贅沢禁止令は自分よりも身分の下の者が「分を超えて贅沢する」ことを戒めようとするものだった。

おしゃれは独占したいのにもかかわらず、すぐに真似され、みな同じようなファッションを身につけるようになる...

「追いつめられた「富者」たちは、ついに降伏する。服飾史家のややおおげさな言葉を借りれば、「史上初めて、ジェントルマンが労働者の・・・スタイルをまねはじめた」のである。稀代の洒落者として、19世紀以降のジェントルマンの「伝統」となる衣服のスタイルや着こなしのもとをつくったブランメルが、次のように主張したのも、象徴的である。すなわち、「ジェントルマンの衣服は目立たない素材で、形だけで優雅さをだしたものであるべきだ」、と。ファッションをめぐる社会的・階層的競争に疲れた上流階級は、地味であまり変化しない服装こそが上品だと主張することで居直ったのである。」

「マス・マーケットの成立した18世紀末は、(中略) この時代、社会的競争に疲れた上流階級は、「流行」という「贅沢」をステイタス・シンボルにすることを部分的にやめた。ここに、イギリス人、特にジェントルマンの衣服が比較的変わりにくい「伝統」的なものになっていく背景がある。」
(以上、『洒落者たちのイギリス史』川北稔著・平凡社より。わたしは川北稔先生の大ファンである)


18世紀後半から19世紀に生きたダンディの走りにして最高存在であったブランメルは、オックスフォード大卒で、摂政王太子(のちのジョージ4世)の取り巻きでもあったが、貴族の出ではない。
「非の打ち所のない身だしなみと冷ややかで物憂げな立ち居振る舞い」で、バイロン卿をして「羨ましい」「彼になりたい」「偉人」とまで呼ばせたほどの人物だ。


ブランメルのスタイルは、わたしは、一周まわったマッチョの一種だと思っている。
マッチョ、褒めてません(笑)。

「分かりにくいが、ものすごくおしゃれ」というのは、「派手で、分かりやすいおしゃれ」よりも真似がしにくい。
経験や訓練、知性も必要なら、それをおしゃれとわかってくれる観客も必要だ。せっかくお金と時間をかけておしゃれをしても誰も気がついてくれないというのでは割に合わないのである。なぜならおしゃれは衒示的な消費だからだ。庶民にとってはかなりハードルが高い。

ブランメルには身分も財産もなく、自分の強烈な個性だけでファッション、いやさ一時代を支配したという。
実はファッションに細心の気を遣い、金も時間もかけてはいるが、徹底的に外見(そしておそらく身分や財産にも)に無関心を装う男を演じた。

ルネサンスの文人カスティリオーネが、著作『宮廷人』で定義した「スプレッツァトゥーラ」のようなものだろうか。
「技巧を隠して、自分がしていることをあたかも労せずに無意識にできたかのように見せる、ある種の無造作さ」。実際の欲望・感情・思考などを表情などに出さないこと、つまり「防御的な皮肉」(ボードリヤールは、ダンディズムは「ニヒリズムの美学的形態」と言った)。

こういったクールな無関心、皮肉で虚無的なポーズは、王族や貴族にも超かっこいい! と羨望されたに違いない。

ここに、ブランメルの、上は王族や貴族、下は庶民に対する、軽蔑がある(一部ルサンチマンではあるのだが)。


そのうえで、カミュが『反抗的人間』の中でダンディについて述べているのを読むと興味深い。

”The dandy creates his own unity by aesthetic means. But it is an aesthetic of negation.”
「ダンディは美学的手段を使って自己統一性を作りだす。しかしその美学は否定の美学である。」

カミュは、ダンディは神を殺してしまった人間が、自分が何者であるかの保証を失った結果、自己統一性を再構築するために利用する「役柄」だと言う。
自己の統一性(つまりアイデンティティ)再構築のために、ダンディが存立するためには、ダンディさで劣るその他大勢を必要とするのである。ニーチェの言う「超人」が存立するために、劣った「畜群」が不可欠であるように。

自分自身の優位を意識するためには、絶えず参照対象としての「軽蔑の対象」が側にいなくてはならないのである。

ブランメルのダンディは美しい紳士の定番を作ったかもしれないが、その背景は結構どろどろしているのである。
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