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英国の失われた時を求めて



こちら、ウインザー城へお連れする予定を変更してお客さんと訪れたアランデル城の礼拝堂。
アランデル城は11世紀からアランデル伯爵の居城であり、400年以上ノーフォーク公爵の居城である。
ノーフォーク公爵は代々、王の葬儀を司る職にある(から今、重責を負っているそう)



英国は衰退している。

エリザベス女王の功績とは、かつて七つの海を支配した大英帝国パワーを、ヨーロッパ大陸の北西のこぢんまりした島国にソフトランディングさせ、ダメージを最小限にとどめたことにあると評価する向きさえある。

一方で保守の中には、いまだに英国を「世界に冠たる」と言って憚らない人々もいる。例えばEU離脱を支持した人々や、階級社会の内でおいしい思いをしている人たち、極右...その他。

彼らは明日19日の国葬にあたり、世界中の人々が女王に対して表している哀悼を、英国がいまだに最重要な国であることの証拠として利用したいようだが、そしてたしかに英国は世界に通用する価値を多く生んできたわけではあるが、実情はかなり違っているのではないか。


女王に最後のお別れと敬意を表するため、ロンドンの寒空の下24時間以上行列している人々、旧植民地で屈辱感を抱えながらも礼儀を失わない人々、あるいはあまり関係もないように見える日本人も、なんとなく寂しく、なんとなく悲しく、なんとなく切なく、虚しいのは、女王が、かつてはここにあり、しかし今はもうここにはない、世界の安定と繁栄と幸福、「大きな物語」(社会で共有される価値観のよりどころ、イデオロギーの体系のこと)を象徴しているように感じるからではないか。

彼女の治世の間にほんとうに安定と繁栄と幸福があったかどうかは関係がない(戦争、不況、搾取、差別、貧困、ジェノサイドなどがあった)。

わたしたち人類は、なぜか「かつてはあったのに、今はもうなくなってしまったもの」を、まるで当事者のように、哀しみ、懐かしがり、美化し、共有する能力を持っている。「昔はよかった」などと。
もしかしたら、こういう特異な能力を備えているために、人類は何度も訪れた危機をサバイバルし続けたのかもしれない。


英国の名のもと、豪華絢爛な儀式は実は非常に政治的なものである。
それはかつてはハードパワーに裏づけられたものであった。

しかし今ではそれは、おとぎ話の中のお城、馬車、美しい王女様と王子様、玉座、冠をかぶった女王様と王様、絹のドレス、典雅な兵隊、トランプのような侍従、白い馬...

ロマンティシズムとノスタルジア、まさにもう今はここにないもの...
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