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郷に入っては




長文です。




4月末、ベルギー下院は、イスラム教徒の女性の「ニカブ」(ニカブは眼のみを露出するベール)着用を、公共の場では全面禁止するという法案を賛成多数(と言うか反対票ゼロ)で可決した。

結果、女性の人権拡大を言祝ぐ声と、宗教の自由侵害であるという声の二つが特に大きかったと言う。


ベルギー上院がこの法案を可決したあかつきには、ベルギーが欧州で初の全面禁止を実施する国になる。
ま、ベルギーは例の言語対立によって連立政権が崩壊中で、無政府状態(またか!)だから、この法案がいつ成立するのかは不明だが。

わたしはドバイのホテルで、ニカブ姿の超リッチな女性たちに囲まれ、ハイ・ティをしながら英国の新聞でこの記事を読んだ。



一方、ドバイは外国人の服装やマナーについて、トルコやエジプトとは比較できないにしても、かなり鷹揚な態度を取り続けてきた。


が、昨今頻発する見逃せない事件(婚前交渉したとして逮捕された英国人らをはじめ)を憂慮し、ドバイを訪問する外国人を対象に、イスラムのタブーを各言語で明文化、入国前に知らせるという方針を採用することに決めたそうである。
明文化されたら「旅行者だから、公共の場所でキスしてはいけないとは知らなかった」などという幼稚な言い訳は通用しない。他にも理想的な観光客の服装などがはっきり規定されるようになるだろう。


今現在、例えば日本語で入手できる観光情報には、「ドバイでは外国人であれば短パンタンクトップで街を歩くことも許されている」と書かれているが、実際、相当な鈍感バカでなければ、街の様子を一目見たらそんな姿で街を闊歩するのは自粛するはずだ。

ホテルには客室の案内冊子や、ロビーの立て札等に「地元宗教へのリスペクトから、プールサイド、ビーチ以外では水着禁止」とか「屋内では肩を隠すように」というサインが置かれている。世界最先端モールにも「肩と膝を隠して下さい」という表示があった。
しかしどれもこれも目立たぬサインなので、外国人にくれぐれも注意して欲しいというよりも、地元民からホテルやモールがクレームを受けた場合にディフェンスに用いる意図の方が大きいと思われる。
マクドナルドのコーヒーカップに「中身は熱々です」と小さく書いてあるのと同種の「警告」ですな。

わたしは常々「短パンTシャツサンダル履き」でどこにでも行く人々を苦々しく思っているから、「宗教」や「慣習」や「場」に敬礼して服装を整える、という考え方には大賛成なんですがね。


当然行き交うアラブの女性は、ほとんど全員がニカブを着用していた。
わたしが出会ったアラブの女性で頭髪を露にしていたのは唯一プリンセスだけであった(出会ったとはおこがましい。パーティーで末席を汚させて頂いただけ)。
このことから、ニカブには女性をアンタッチャブルにするため(プリンセスはその地位によってすでにアンタッチャブルなのであるからして)だということが外国人にも分かる。

また、過酷な太陽光線を防ぐため、わたしは最高値の日焼け止めを使用しており、常に日陰にいるように気を使ったが、ニカブは外出時にさらっと羽織ればよいわけで、日傘も帽子もいらず、日差しや砂嵐から身体を守る土地の知恵という面が十分あると感じた。

もちろんこの服装「こそ」が女性差別に短絡的につながっているのならば、早晩廃止するがいいと思う。慣習的に女性を自立不可能な立場に縛りつけてきたことも事実だと思う。しかし、例えば日本は女性がどんな服装で街を歩こうと普通は咎められたりしない「自由な」国だが、だからといって女性の社会的地位は高いと言えるだろうか。


そのことをヨーロッパ人の女性たちに話したら「黒よ?暑いだけよ!女性差別の象徴なのよ!」とどんどんヒートアップし、わたしがいくら「黒は日本で黒の日傘が流行っているように最も日焼け止め効果がある色なのだ」と言っても、その声は「差別だ」という怒声の中にかき消えるだけだった。さすがすべての人間は「救済可能」だと信じる宗教を母体にする人々である。




ベルギーで採決寸前の法案、ドバイを訪れる観光客に対する処置。
この両件には、女性の人権問題や、宗教の問題、あるいは自分の日常が未知の分子に浸食される恐怖という原始的な心地悪さなど、さまざまなファクターが含まれているが、わたしが旅行者/外国在住者として積極的に考えられることは一つである。

世界中どこに行こうと、自分の宗教、あるいは自分の馴染んできたマナーを権利や習慣として守り通すのか、
世界中どこに行こうと、相手の宗教、相手が馴染んできたマナーを優先するのか


ローマにあってはローマ人のようにせよ

という諺は、巨大メトロポリタンに在住していた人々の知恵だと思う。

でも、日本人には摩擦を防ぐためなら容易いことと思われるローマにおける「知恵」も、他の文化圏の人々には受け入れがたいのですね...
わたしはこのように「自分がない」とか「あなた色に染まってみせます」的日本人、これこそが日本人のええとこや、と思うんですがね。




(一番考えるべきなのは、「服装」の話ではなく、アラブ文化下で女性が過酷な差別を受けているということなのだが、わたしにはここでは到底論じきれない。娘が7歳で嫁にやられたり、割礼を強制されたりしたらこんな温いことは言わないだろう。)


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民族衣装




ドバイで、あるパーティーの招待状にはドレスコードとしてこう記されてあった。

「フォーマル。あるいは民族衣装」と。



アラブの男性は一様に、純白のばりっとしたカンドーラをまとい、同じく純白のゴトラを漆黒のアガルで固定している。
これがまたアラブの男性の容姿を五割増で麗しく見せるようできているわけですな。

シーク教徒はターバン、計ったかのように刈ったヒゲ。
これ以外にはどんな装飾物もあり得ないと思えるほどの完璧な装いである。どの方もマハラジャに見えます。


迎え撃つ西洋男子はタキシード。
でもまあ、ルパート・エヴェレットかジェイムス・フォックスのレベルか、あるいはどこかの王子様レベルか、またはジェイムス・ボンドその人でないとタキシード姿も純白カンドーラ軍団には見劣りするのである。なぜならアラブ人らはカンドーラを日常にも着ているのだから、その着こなしの熟れ方にかなうはずがない。

馬子に衣装を着せても胡麻かせはしない「何か」に魅力は宿っているのである。



日本の方、と思われる男性も何人かお見かけしたが、ここはやはり、紋付羽織袴で出るべきです、と強く思った。
揶揄しているのではなく、わたしは真剣だ。
例えば紋付ではないが、能楽で地唄や囃子を構成する男性や、弓道や剣道をすなる男性を思い浮かべて頂ければ好都合だ。彼らは曰く言いがたい存在感、つまりオーラを放っている。

日本人は「ラスト・サムライ」スピリットを継承する精神的に高貴な人々、というイメージは外国人の間にあきれるほど根強く残っていて(いや、だから、例えばウィリアム・ウォレスのような人物像を期待されても現代のスコットランド人は困るわけでしょ?とわたしがいくら掻き口説いても美しい誤解を完全に晴らすことはできなかった)、ビジネス戦略上、そういう良きイメージは利用できると思うのだ。
あ、サムライはそんな姑息な真似をしないのか...



ナショナリズムなど難しいことになるのかもしれないが、単に耽美的な楽しみのために男性の民族衣装は復活させるべきなのである。



夫は「じゃあベルギー男子はフライドポテトの着ぐるみに決まりですね」と言った。そのオヤジギャグも悲しいが、自虐も悲しいよ、君。(彼の本心は銀の西洋鎧を着ることだが、戦闘を始めてどうする・笑)









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今年の聖血祭は




昨今、連鎖的に暴かれたカトリック教会の性虐待スキャンダルは、遂にわがブルージュ地区の司祭をも辞職に追いやった。


現代の聖職者が堕落しているというよりも、教会的な知識と権威の独占、ハイエラルキーは、自ずとパワハラを呼ぶと思うのだがどうだろう。

ちなみに、今後、お天道様の下を歩けないであろうこの元司祭は、現在、ビール作りで有名なある僧院でかくまわれているそうである。




ところで今日は、ブルージュの三大祭り(?)の一つ、「聖血祭」がとり行われる晴れの日である(聖血祭の歴史と由来についてはこちら「聖血祭の由来とお話」をご覧下さい)。
しかし当局は、今年のパレードには司祭を含むカトリック聖職者の参列は一切ない、と発表した。

白い眼、いや、生卵をぶつけられる恐れがあるからだろうか。



聖血祭は、ブルージュのブルグ広場にある聖血礼拝堂に安置されている「キリストの血をしみ込ませた布」というギミックを本尊とし、キリストの生涯をたどる芝居を組み込んだパレードを粛々と行う。その行事においてカトリック司祭の存在はギミックの正当性を保証する証人となるのである。

葵祭の斎王か、エレクトリカル・パレード(<見たことないけど)のミッキーか、ダイヤモンドの鑑定書か、コーヒーに入れるクリープか、まあそんな重要な「感じ」の存在なのだ。

つまり司祭がパレードに参加しないということは...キリスト教世界においては尋常じゃない訳です。



わたしはパレードを観に行くつもりはないが(この日は徒歩圏にじっとしているのが得策)、どんな雰囲気になるのだろう...血祭り?いやいや、聖血祭り。


十字架を背負って歩くジーザス役の人の十字架は今年は特に重く見えそうだ。




ギミックと書いたが、わたしはキリスト教には敬意を払っている。ただ、布を拝む必要はない、と思うだけである。布などを拝むように誘導することが、つまりパワハラを招くのではないかと思う。

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dubai from the sky II あるいはシンドバッドの冒険









8年ぶりのドバイは...


シンドバッドは、実は未来のドバイへタイムトリップして様々な冒険を果たし、
帰郷して、怪鳥や、ダイヤモンドの川底や、カエル人間の話を人々に語って聞かせたのに違いない、

と想像させる街である。





ドバイの経済戦略は決して脆くないという人もまだいるが、
色(物質)はすなわち空である、と見なすと、


砂上の楼閣とは、



巧いこと言いますね。



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dubai from the sky








水上飛行機から撮影した写真。


長谷川三千子の「バベルの謎」(<名著)に、
ペーター・ブリューゲルの「バベルの塔」を評して、ある作家がそれを
「まるで地殻の底から吹き出た奇怪なできもの」
と懐述したと書いてあり、

ああ、この世界で一番高い塔もたしかにそう見える、と思った。



暑いです...







この記事、現地でアップしたつもり、が、ほとんど同時に消えてしまっていたようだ。お知らせ下さった方、ありがとう存じました。



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