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Brugge Style
2010年 7月11日
参院選挙、ワールドカップ決勝、はたまたフラマン共同体の祝日など、さまざまなビックイベントが重なった日曜日だった。
参院選挙は「みんな、もうちょっと考えようよ」という感じで不毛、ワールドカップのおもしろさも最後まで今ひとつ分からないまま、そこでフラマンの「想像の共同体」について考え始めたが、ロゼを1本開けてしまったため最後までまとまらなかった。
それでサイクリングについて書くことにする。
わたしはルブタンの靴をはいて、アントニオ・ベラルディやジェイソン・ウーなどの服を着て居心地がいいという、なんと申しましょうか、アレな人である。
移動は車。アウトドアスポーツは極力回避するインドア好きだ。
「アウトドア」で好きなのは買い物と神社仏閣遺跡巡りくらい。
当然自転車も持っていないし、Tシャツも2枚しか持っていない。
そんなわたしでも大好きなのが、フラマン地方の自然の中を自転車で何時間もかけて巡るリクリエーションだ(自転車は借りるのである)。
ツーリストインフォメーションには、39種を越える目的別の自転車マップが揃えてあり(蘭仏英)、例えば
修道院と城巡り 44キロ
戦争反対ルート(古戦場巡り) 37キロ
淡水と海水の間のルート 56キロ
(このキロを制覇する必要はなく、短くしたり、途中で迂回したり、戻ったり、自由である)
など、タイトルを眺めているだけでもずいぶん楽しい。
自転車ルートも、公式レース等が頻繁に行われていることもあるのだろう、ほぼ完璧に整備されており、辻に必ずあるルート番号を地図と照らし合わせて進むだけだ。
さて、昨日は「(中世からナポレオン期の)堤防と要塞を巡る」ルートで、ブルージュの隣町ダムからオランダの街スルイスへ向けて走った。
途中、決勝をひかえ、オレンジ色のTシャツを着て大きな顔をしたオランダ人軍団にしばしば出くわしたのもこの日ならではであった。
このルートには運河沿いの並木が何キロも伸びていて、気温の高い日も涼しくさわやかでいい。
時々立ち止まって自然保護区の野鳥を見たり、歴史をしのんだり、カフェで飲み飲みしながら行く。
ま、わたしの場合、自転車をこぎながらアウトドアにあっても、考えているのはベラルディの服のこととか、読みかけの本のこととか、インドアのこと中心なんですけど...
ブルージュへ観光に来られた方も、数時間の自由時間中に自転車を借りて自然の中を走るという楽しみ方はいかがだろう。
かわいい田舎家、のどかな家畜の群れ、小さい教会、どこまでも続く畑...ブルージュの旧市街だけ観光、というのはもったいない!
最後、市民劇場脇の道で盛大に転び、向こうずねに派手な勇み傷を刻んだことを記しておこう。
いや、少しでも日陰を走ろうとそちらへ勢い良く向かったら、段差を越えられなかったんですよ(笑)。
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レースでできた地図
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日本のサービス
は世界一である。
海外で暮らしている方は絶対に同意してくれると思う。日本に住んでいるとあまりにも普通で気がつかないかものだが!
先日、大切な荷物が連絡の不行き届きのために行方不明になる瀬戸際で、ブルージュの午前2時(日本時間午前9時)に日本へ電話をかけまくった。
まず一番驚いたのは、営業時間開始9時ジャストに電話を取った人がいたことだった。
ベルギーじゃ営業時間開始のタイミングには、コーヒーを飲んで雑談をしている人の方が多いと思われる。うん、いいがかりかもしれない。
話したのは主に郵便局や税関の方々(オペレーターから課長まで)と企業のサポートの方だった。いやもう日本人の仕事の仕方は素晴らしいですな!
わたしの心を一番打ったのは「分かりません」とは決して誰も言わないことである。
こっちではこれはサービス業の常套句であり、「わたしの仕事じゃないから分かる気がありません」の意味だ。このエクスキューズが何でも切れる万能包丁だと思っている人は、今後もその地位から昇格することはありえないと思っておいた方がいい。一回言ってやりたい。
それが日本では、どの方も必ず「お調べします」と言ってくれる。
そして約束の時間に再コンタクトをとったらば、きちんと答えが用意されていて、きちんと説明してくれる。
結果、わたしは「丁寧なご説明、ありがとう存じました」と、電話を握りながら深々と頭を下げていた。
もし夫が見てたら、鬼の頸を取ったように喜んでわたしをからかうネタにしていたことだろう(笑)。
今後、もし日本が経済的政治的に壊滅状態になったり、技術的に行き詰まったりして競争力を失ったとしても、このサービス能力さえあれば、世界中の企業のお客様相談室を日本が請け負ったとしてもやって行ける(だって電話回線とネットで世界を相手にできる仕事)のではないかと思う。
日本ハワイ化は「兵庫のおじさん」が言っていたことだが、このサービス力で日本を世界のハワイにするのもいいかもしれないし...
夫の知り合いや友人には、仕事で日本へ行ったことのある人が多く、どの人もこの人も言う。
「日本のサービス精神はすごい」「あれは相手へのリスペクトがなければできないサービスだ」「相手がリスペクトできるということは、自分自身の文化をリスペクトしているということだ」「日本人は素晴らしい」(そして振り出しに戻る)。
以前は「それはあなたたちが白人だからですよ」とか、「リスペクトとはまた違うと思う。どちらかと言えばボタンを押したら動くような感じかな」とか言っていたけれど、そんなことを酒の肴に言うのは止めにした。
なぜならば「世界のお客様相談室」開設のネガティブキャンペーンになってはいけないからですよ(笑)!
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アメリカン・ヒーローは戦う
ディズニー映画のピクサー作には「そのネタ!目のつけどころ!どうやって思いついたん?!」とか、「歌枕の選び方にくすぐられて、たまらん」という作品があり、引き込まれるようにして見てしまうこともある、というのは認めよう。
トイ・ストーリー3を見た。
わたしは3Dの良さが全く分からない眼と脳の持ち主なので、普通のバージョンで。
まあそうでなくても、わざわざ3Dにして見せてくれなくても、人間にはパースペクティブを勘定に入れる能力がきちんと備わっていると思う。最近やたらと粗製濫造されている3Dの多くは、なぞりテロップを乱用する低能なTV番組に似たあざとさ、くだらなさにあふれていないか。
ピクサーは、例えば動物やおもちゃやモンスターや機械など、われわれとは通常のコミュニケーションが取れない「彼ら」との話を作るのが巧みで、わたしのような人間でさえもじんとさせられたりするのだが...
これらのシリーズを見ていると、この世には絶対的な悪があり、その悪を外科手術的に摘出することによって平和は回復される、という単純なシナリオをアメリカが好んで採用しているということがよく分かる。いやもう子ども向け映画だけでなく、政府から社会運動まで。ウディ対ロッツオ、ブッシュ対フセイン、アメリカ対ソビエト。
それ以上に恐ろしいのは、アメリカは自分たちが絶対的な悪の位置に立つ可能性がある、とは決して想像することができないことだ。
ありがちな、「平凡な若者が、ある日突然選ばれしものとして指名され、ブレイクスルーを通じて超人的な成長を遂げ、悪を倒し、世界に平和がもたらされる」というパターンにしても(アメリカは自分自身の建国とこれまでの歴史を「平凡な若者」になぞらえているはずだ)。
白か黒か、善か悪か。
でもまあ「限りなくグレーだよね」とか言い始めたら、アメリカはアメリカでなくなってしまうような気もする。
ヒーローは始まりも終わりもない「グレー」とは戦えないのである。
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senlis
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