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Brugge Style
フランス国境の街リール
ベルギー・ブルージュから南へ、フランスとの国境を超えてすぐにある仏北部最大の街リール。
リールは「小パリ」と称されるが、どこかアントワープにも建物や通りの雰囲気が似ていると思う。
現在はフランスとはいえ、フランドル伯領だった歴史もあり、縁は深い。
丸一日、何も予定のない日ができたので、ひとり電車で向かった。
車で行けば1時間、今回は電車で1時間45分。ベルギー時代は常に車だったため、電車に乗るのも久しぶり...
当初、アムステルダムかパリに日帰りで行こうかと考えた。
しかし、欧州内は条件付きで移動が自由になったとはいえ、新型コロナウイルス下の国別ルールを調べてみたら、パリ地域はベルギーのリストではレッド(危険)指定だったり、オランダはまた別のルールがあったり、しかも行きと帰り二通りのルールに従わねばならず、ややこしい。
その上わたしはEUを離脱した英国から来ている...
迷っていたら、20年前一緒にリールに遊びに行った友人の一言で、問題なく行けそうなこの国境の街を選んだ。
ワクチン接種完了の証明、PCR検査陰性の証明、ロケーター・フォーム(滞在先の申告書)、フランスの「ルールを尊重します」宣誓書などをたずさえ国境を越える電車に乗ったが、乗車券以外はチェックなしだった。
そりゃそうだろう、一日何人の人間が一駅の隣町(これが外国だったりする)まで往復するというのか。
国境は当然人工で比較的新しい。
人はそのようなものができる前からそこで暮らしているのだ。
リールには10時前に到着し、お店が営業を始める前の清潔な道をぶらぶら歩き、クロワッサンとコーヒーの朝ごはんを食べた。
老舗Meertでゴーフル(柔らかいゴーフルの間にクリームが薄く挟んである)を買って、ウィンドウショッピング。
星のついたレストランでひとりランチ、その後フランスではルーヴルについで大きいというリール美術館を見学。
そういう一日にもってこいの街。
19時前にはブルージュへ戻った。
また友達とブルージュから電車に乗って来、美味しいご飯を食べ(ちなみにリールは料理もフランドルの影響が大きいのだとか)、買い物をしつつ、お茶を何回も飲んでは日が暮れる...と、したいなあ。
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10年前、9月
秋晴れの9月の火曜日。
この天気だと今夜は中秋の名月がクリアに見えそうなベルギー・ブルージュだ。
ちょうど10年前のこの時分、夫の仕事の都合でベルギーから英国へ引越しした。
わたしは13年間ブルージュに住んだ。
落ち着いてのんびりした街(ベルギーは中間層が厚いことが、その余裕の理由だと思う)で、初めての子育てを経験したのは幸運だった。
ベルギーと英国の社会の何が違うかを考えると、英国は少数のエリートが社会を牽引していく社会、ベルギーは個人の能力によって公平に社会に参画していく社会だと思う。
そこそこの人がどちらの社会で幸福か、と問われたら断然ベルギーだと思う。
10年前、娘は12歳でブルージュ地元の小学校を卒業したばかり。
のびのびした、想像力豊かな子供時代をすごしたブルージュと別れ、彼女の中学校進学に合わせて9月中に英国へ完全移動。
英国ではあわてて探してもらったわりには、競争率の高い(<この初っ端からしてベルギーとは様子が違う英国なのだった。しかもなにかと競争を煽り、序列化するのを好むのが英国だ)、幼稚園から高等学校まである有名私立女子校に進学が決まった。
この女子校では勉強と音楽が両立でき、先生方に注目されて何かと頼りにされた点で、彼女の性格には合っていたようだ。
今年娘は大学4年生になった。
最近は産婦人科に興味を持っているらしい。理由の一つが、産婦人科では外科手術が科内で施術される点にあるという。
あの頃とは人が入れ替わったのでは、と思うほど成長した。
しかしブルージュには来るたびに思うのである。
12年間、もっと真剣にとりあってやればよかったのに、と。
あのころのわたしは彼女が一日でも早く自立することを願っていて、子供らしい世界をそのままで理解してやろうとしなかったのではないかと思う。
大人の考え方を押し付けすぎたのではないか、と。
やり直しできるものならぜひやり直したいと思うのだが、娘は困ったような優しい顔で肯定してくれる。まあ子供というのは親がどうであろうと全力で肯定してくれるものなのだろう。切ないなあ。
この美しい街角から、小学校の紺色の制服姿の娘が満面の笑みを浮かべて駆け出してきそうで、胸がしめつけられる。
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ここはどこ?
ここはどこでしょう。
断酒中なのでビールはアルコールゼロ。
ヒント4はこのブログのタイトル。
2021ロード・ワールド・チャンピオンシップという自転車競技を22日まで開催中で、
街の半分は閉鎖され、あちこちでパーティをやっている。
観光都市なだけに新型コロナ禍の経済的影響は大きかったようだが、
徐々に人が戻ってきている模様。
来月1日にはほとんど全ての規制が撤廃されるのだとか。
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theatrum mundi
今回のイタリアひとり旅の目的はこちらだった...
はじまり、はじまり。
まず会場は、パルマのパラッツォ・デッラ・ピロッタ(Palazzo della Pilotta)内にある17世紀の美しき劇場、テアトロ・ファルネーゼ(Teatro Farnese)。
パノラマ写真がブレブレなのは許して...難しいですね。
テアトロ・ファルネーゼはプロセニアム・アーチを備えた最古の劇場であり、これの発明によって、劇の背景や場面の転換が可能となった。
プロセニアム・アーチとは舞台上にあるあの額縁のこと。普通はこの枠の中で「劇」が行われる。
また、観客席は、ギリシャやローマの半円形階段状と異なり、U字形段状なのが特徴なのだそうだ。
会場となるこの劇場自体の洗練された美しさもさることながら、こちらでフォルナセッティの展覧会『世界劇場』Theatrum Mundi が開催されている...
『世界劇場』という概念は、この世界を「劇が演じられている舞台」ととらえる。
われわれ人間はその舞台上で繰り広げられる劇の登場人物である。
誕生するやいなや(いや誕生前からか)、否が応でもこの舞台上にひきずりだされ、割り当てられたり、引き受けた役回りを、時と場合によって演じ分けているのである。
シャイクスピアが『お気に召すまま』の中でこのように言わせるのは有名だ。
All the world's a stage,
And all the men and women merely players;
They have their exits and their entrances,
And one man in his time plays many parts
世界は舞台
人は役者
登場し、退場し、
その間にさまざまな役柄を演じ分ける(訳はモエ)
また、ハイデガーはこのように言う。
人間は世界劇場で役柄を演ずるために世界という舞台に投げ入れられる(これが有名な概念「投企」)、そして投げ入れられるや世界劇場の役柄になりきっていく。まるでそれが当たり前であるかのように。
鋭い方はお気づきかと思うが、この考え方には、「ほんとうの私」や「自己」はそもそも存在しない。
人間と社会の働きを説明するため「ドラマツルギー」という用語を使った社会学者ゴッフマンは、
「重要なことは、人が担う役割の背後で彼がどのような種類の人間であるかについて、それらの役割を演じることを通して具備されるその意識である」とする。
彼は、人間あるいは自己とは、役割を演じることによって自分が誰であるかと意識する、その意識である、と言っている。その逆(=考える自己があって生まれる意識)ではない。
つまり、人間の本性とは、「ダイヤモンドの原石」としてもともと生まれつきに備わっているようなものではなく、文化価値の中で役柄が演じる相互作用の結節点にすぎない、というのである。
そうなのだ、仮面をとったところでそこにあるのは「素顔」ではないのである。
そう思ったところで、ファルネーゼ劇場の観客席にごまんと並べられたフォルナセッティのTema e Variazioni (オペラ歌手リナ・カヴァリエリの顔が一つの主題として無限に変奏される)は圧巻であった。
観客席のリナ・カヴァリエリはロゴスである。
展覧会の会期自体は、当初今年の2月までの開催だったのだが、あちらもロックダウンなどの影響があって延期を重ね、ついにこの9月末までの開催となった。
わたしは一年前から飛行機のチケットを取っていたものの、英国からイタリアへの入国はずっと隔離が必要で、隔離期間が5日間に短縮されたときに行こうかとかなり迷ったのだった。
そしてついにこの9月から隔離なしで行けるようになったので飛行機に飛び乗った。
わたしには珍しく、ボローニャ駅でぶらぶらしすぎてミラノ行きの高速鉄道に乗り遅れ、44ユーロ、約7千円をパアにしてしまう(笑)アクシデントもあった。
ボローニャ駅の大きさを見誤っていた。高速鉄道は別駅舎の地下2階部分まで行かねばならなかったの...
自分がディアーナー(アルテミス)のようには早く走れないということをすっかり忘れていた。
こんなアクシデント、わたしにはあまりない。軽犯罪にもあったこともないし、意外にしっかりしているのよ、モエは。
発車しようとする車両のドアをバンバン叩くと、笛をくわえて目を丸くした車掌さんに隣のドアへ走れ! と指差しされたが間に合わなかった(笑)。中のデッキの男性が扉開閉ボタンを強打してくれたのは漫画のようだった(笑)。
別の、もっとよい連絡の電車を探してくれた窓口の若い女性が親切で女神に見えた。
ひとり旅、楽しかったです。
夫と旅をすると全部世話してもらえ、どんどん何もしない人になってしまうので、時々はひとり旅しよう。
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ファルネーゼ劇場は世界劇場
今回のイタリアひとり旅の目的は、パルマのピロッタ宮殿内にあるファルネーゼ劇場で、フォルナセッティの展覧会、Theatrum Mundi『世界劇場』を見ることだった。
去年から思いこがれてやっと叶った。
さて...
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