コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

作られた対応 第6回真宗カウンセリングWS-3

2009-08-28 00:03:29 | コミュニケーションワーク
以前の話題とかぶる部分もあるけれど、今までの法座活動で何度か出会ってきた、私によく似た「営業ぐせ」のお話。

ワークショップでいろんな話をしていくうちに、自分の”くせ”を人の姿を通して知らされたりする。
くせと言うと、”行動のくせ”って感じだから、思考のパターンと言ったほうがいいかもしれない。

これは個人的な素養なのか、あるいは来歴による刷り込みなのか、分析してみたら面白いかもしれないけど、それはパス。

でも、私の来歴から語ってみることは出来るかもしれない。

学生時代にアルバイトでホテルのバーテンダーをしていた。
全国系列のいわゆる高級ホテル(西本願寺の北側にある)で、アルバイトと言えど接客マナーを一から叩き込まれる。
それまでも客商売のバイトはあったが、徹底の度合いが違う。

そこには「自分を殺して、お客様のためにつくすことを第一義とする」と言うものが基本になる。
サービス業なのだから、飲食物を売るだけでは終わらず、雰囲気や会話を楽しんでもらうことに対してお金をいただくのだから。(サービス料なんてものもいただくしね)
多少、腹に据えかねるオーダーであっても、笑顔が基本だし、怒りなど気取られては”ならない”。
厨房の職人さんなどは感情をぶつけてくるが、料理を作ってもらわないと話が進まないのでこちらはひたすら頭を下げて頼む。
もちろん、その分、別の場所で発散するのだが(この時期は仕事後の麻雀やポーカーなどで発散してたかな)どんどんコントロールが上手になって、仕事中は感情を押し殺し、偽りの笑顔の仮面を常に表に出していた。

その後、営業職に就職すると、これまた自分の気持ちは後にして、ひたすら客先で頭を下げる日々だ。
もちろん、その見返りとして営業成績があり、それに応じて給与が手にはいるのだから、あたりまえのように自分の感情は殺す。

こういう日々が続くと、もうコントロールじゃなく、普通に感情を押し込める事が出来るようになる。
また、いつしか感情を押し込めていることすら忘れる。
それが都合がいいから。

法座やワークショップで、「どういう感じ?」と尋ねられるとき、頭が稼動して「適した答え」を紡ぎあげ、言葉にして返す。
「もっと自分を出して」などと言われても、こっちは精一杯「自分を出している」(つもり)
「腹底を」と言われても、こちらの”判断”では、それが腹底だったりする。

そう、自分では違和感なく、普通に対応”できている”
頑張って対応してるんじゃなく、それがこちらの自然な姿だったりする。

これは相当根深い。
自覚症状が無いし、他所から指摘されても、その指摘をも取り込んで自分の物にする能力に長けているのだ。

世間的に、営業などで成功している人ほどこの傾向が強い(だから私は抜け出せたのかも…)
自分の気持ちを正直に出す人より、よっぽど付き合いやすいだろうし、飲み屋などで”よいしょ”されて嬉しがらない相手はいない。

しかし、そういうお芝居はバレバレなのだ。
世間でも、利害があるからそのお芝居を気付かないフリをして、腹底では「こいつも何考えてるかわからん」とキツネとタヌキが化かしあいをしているだけだ。


ここを揺り動かせるのは…
私なりに答えはあるのだが、出さないでおこうと思う。
こういう能力に長けた人は、その答えを聞いて、それに応じているフリがすぐにできてしまうから。

もう一度書くが、こういう人は決して誤魔化しているのではない。
本人は精一杯、自分を出していこうとしている。
自分でも気付かずに、自分を誤魔化しているのだ。
指摘されて、それを受け入れても、勝手に頭が作動してしまう。
ゆっくり、何度も何度も、剥がしてもらうしかないのかもしれない。

私自身がこのことから解放されたのは…ほんの最近のことだと思う。