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「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

受け入れられたい 第6回真宗カウンセリングWS-1

2009-08-25 00:26:03 | コミュニケーションワーク
今回のワークショップで最初に表に浮き上がって来たのは「受け入れられたい・認められたい」という感情の話題。
その対象はいろいろあれど、多くの人が持っている感情じゃないだろうか。

「あるときに受け入れてもらった気がした」
というプラスの感情もあれば、その裏側で
「ずっと受け入れてもらえなかった」
という感情が苦しみとして残っていたりする。

もしかしたら、こういう「受け入れてもらっていない」というのは、こちらの思い込みで、相手側は「そんなこと無いよ」という場合もあるかもしれない。
しかし、こちら側の「こういう風に受け入れて欲しい」という思いと、相手側の「こういう風に受け入れているよ」という思いがぴったりと一致することは少ないのじゃないだろうか。

これは私自身も深い深いところで抱え続けている感情だったりする。
「双方の思いがそれぞれにあるのだから、仕方ない」という蓋で、ずっとずっと追いやっているものだ。

それでも、少しは「認めてもらう」ために一生懸命尽くしていく。
社会で頑張り、家庭で頑張り、認めてもらう種を次々と積み重ねていく。
それがなんら役に立たないという事実がもしあったとしたら…そんなことは絶対受け入れたくないから、どんどん積み重ねていく。
積み重ねる作業の間は充実している。
でも、ふっと一息つくとき、不安がよぎってきたりすると、それを振り払って頑張り続ける。

このことを「分析」するならば、「幼少の頃”認めてもらえなかった”ことがトラウマになって…」だとか、「不況で仕事を失ったら、目標がなくなって何をしていいかわからなくなる会社人間」だとか、様々な問題に直結していく。

しかし、真宗カウンセリングの場ではそういうことは必要ない。
「受け入れて欲しいんですね」ということを受け止めてもらう。
「受け入れて欲しい自分なんだ」ということを受け止める。
あとは、周りの人がアドバイスすることも無く、探ることも無く、自分自身が「いまの自分」をゆっくりと味わって、そこに「こうしたい」というものが現れてくるならば、そのことを意識して口にして自分でもう一度かみ締める…そのことが、自身で成長していくことになる。

このことは法の話にもつながっていて、いままで積んだものが「役にたたない」ということは絶対に受け入れがたく、つぎつぎに頑張って「これならば受け入れてくれるでしょ」と…

と、そこのところは今日は置いておくとして、みんな「受け入れて欲しい」と願っているんだなぁ、と。

このことひとつでも、真宗カウンセリング・ワークショップでの二日間は「大丈夫ですよ」と、しっかり包み込んでもらった時間だった。
きっと、参加してくださった皆さんも味わってもらえたんじゃないかなと。
だからこそ、いいことだけでなく、マイナスの感覚もしっかりと口にしてもらえたんじゃないかと。




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