そうそう、書こうと思っていて忘れていた!
ちょっとしたことで、75歳の方と話すきっかけがあった。その方は昔、教会で教えていたことがあるほどの方であった。私はキリスト教には精通しておらず・・・なんせ、やっとこの前、新約聖書と旧約聖書の違いがわかったくらいなのだから(笑)。
で、そんなプロの相手に、気がつくと、対等に宗教について語りあっている自分がいた。
よくよく考えてみたら、死生学において、キリスト教について学んだことが、大きな基盤となっていることに気がついた。また、その方が高齢だったので、主に「死」というテーマが根底にあったことも、私がついていけた理由かもしれない。
部屋を見回すと、「キリスト教と私」や「ホスピスチャプレン物語」あるいは「やすらぎへの旅-十字架の道行の黙想-」といった本が散乱している。
昔は資格の本に囲まれていたのだが、「キャリア」「メンタルヘルス」関連の本が増え、いつしか、図書館以上に「生涯学習」関連の書籍を揃える部屋となり、今では「キリスト教」「仏教」といった宗教や、「ホスピス」「延命治療」「ガン患者」といった「死生学」関連の本が主流派となりつつある。
少なくとも、研究分野の関連図書が100冊はないと落ち着かない。大学院を変えるたびに、集う書籍が様変わりするのがおもしろくも、少しはかなく感じてしまう。
一つのことに集中して研究できないのは、私の致命的な欠陥ではあるけれど、それはそれ、多くの分野で、プロとなんとか対峙できるくらいは学んでいないと、院生を名乗る資格はないだろう。
その方は言ってくださった。「多くの人が知識だけ、キリスト教の勉強をして、『私はキリスト教をマスターした』というが、心では何も分かっていない。その点、あなたは心が分かっている」と。過分なお言葉に恐縮!
でも・・・まあ、死生学だけでなく、ターミナルケアもグリーフケアも人間学も老年学も学習しましたから。逆に、教義はまだまだですので、比較宗教学の90分×30回のSCで学習させていただきます。
教義は時間をかけて学習すれば、誰でも修得できる。しかし、心はいくら学習しても、その本質というものが理解できない限り、修得するのは困難である。本を読み、スクーリングに出席し、多くの死の事例に直面し、カウンセラーとして多くの方々の悩みを傾聴してきたことが複合的に「心」を形成してくれたのかもしれない。そういう面では、貴重な体験を経て、今の私があるのだろう。
ちょっとしたことで、75歳の方と話すきっかけがあった。その方は昔、教会で教えていたことがあるほどの方であった。私はキリスト教には精通しておらず・・・なんせ、やっとこの前、新約聖書と旧約聖書の違いがわかったくらいなのだから(笑)。
で、そんなプロの相手に、気がつくと、対等に宗教について語りあっている自分がいた。
よくよく考えてみたら、死生学において、キリスト教について学んだことが、大きな基盤となっていることに気がついた。また、その方が高齢だったので、主に「死」というテーマが根底にあったことも、私がついていけた理由かもしれない。
部屋を見回すと、「キリスト教と私」や「ホスピスチャプレン物語」あるいは「やすらぎへの旅-十字架の道行の黙想-」といった本が散乱している。
昔は資格の本に囲まれていたのだが、「キャリア」「メンタルヘルス」関連の本が増え、いつしか、図書館以上に「生涯学習」関連の書籍を揃える部屋となり、今では「キリスト教」「仏教」といった宗教や、「ホスピス」「延命治療」「ガン患者」といった「死生学」関連の本が主流派となりつつある。
少なくとも、研究分野の関連図書が100冊はないと落ち着かない。大学院を変えるたびに、集う書籍が様変わりするのがおもしろくも、少しはかなく感じてしまう。
一つのことに集中して研究できないのは、私の致命的な欠陥ではあるけれど、それはそれ、多くの分野で、プロとなんとか対峙できるくらいは学んでいないと、院生を名乗る資格はないだろう。
その方は言ってくださった。「多くの人が知識だけ、キリスト教の勉強をして、『私はキリスト教をマスターした』というが、心では何も分かっていない。その点、あなたは心が分かっている」と。過分なお言葉に恐縮!
でも・・・まあ、死生学だけでなく、ターミナルケアもグリーフケアも人間学も老年学も学習しましたから。逆に、教義はまだまだですので、比較宗教学の90分×30回のSCで学習させていただきます。
教義は時間をかけて学習すれば、誰でも修得できる。しかし、心はいくら学習しても、その本質というものが理解できない限り、修得するのは困難である。本を読み、スクーリングに出席し、多くの死の事例に直面し、カウンセラーとして多くの方々の悩みを傾聴してきたことが複合的に「心」を形成してくれたのかもしれない。そういう面では、貴重な体験を経て、今の私があるのだろう。