生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

品不足(その2)

2011年03月13日 19時09分35秒 | ちょっと立ち止まって・・・
子どもを連れて、近所のスーパーの「サミット」へ行ってきました。

やはり、地震の影響で昨日以上に「品不足」の状態になっていました。カップ麺=ゼロ、卵=ゼロ、米=ゼロ、菓子パン=ゼロ、豚肉=ゼロ、鶏肉=ゼロ、もやし=ゼロ、キャベツ=ゼロ・・・酷い状況でした。

ようやく、子ども達も地震の影響が身近に迫っていることが理解できたようです。そう、平穏な生活が徐々に侵食されていきます。

今回の地震は、テレビだけの世界ではなく、同じ、日本で起こった出来事なのです。しかも、わずか、200キロ程度の距離のしか離れていない場所なのです。何の影響もないはずがない。

決して他人事ではないことを、少しでもわかってくれればいいのだが。
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明日は早出。

2011年03月13日 19時05分41秒 | その他
地震の影響が未知数なので、明日は通常より1時間半ほど早く出社することとなりました。

始発でもいいのですが、あまりに早く到着しすぎるのも問題があるので・・・

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品不足・・・

2011年03月13日 11時41分14秒 | ちょっと立ち止まって・・・
そういえば、昨日、国分寺からの帰り、近所のスーパー「サミット」に寄ってみた。

店舗は大混雑。パンやら、牛乳やら、ほとんど売り切れ!欲しいものがほとんどない状況であった。カップラーメンや、レンジでチンするだけでできるゴハンもカゴにどっさり買っている人もいた。2L入りの飲料を買う人も多かった。

一方、併設されている「コーナン」も、いつもはガラガラなのに、レジが混雑するほどの大盛況!特需に沸いていた。欲しかった懐中電灯は、当然のごとく売り切れ。電池も売れ筋商品というところか。

トラック等物流が復活しないと、商品は届かない。だから、品不足っていうことも頭の中では理解できる。でも、パニック同然に品物を求めるのはどうなんだろう・・・といいながら、我が家もその大勢にまぎれて、トイレットペーパーを購入したのだが。

やはり、まだまだ、悟りの開けぬ凡夫である。目に見えぬ恐怖に、備えたいという欲望に取り付かれているのだな・・・
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なんだか複雑な気持ち・・・

2011年03月13日 07時05分19秒 | ちょっと立ち止まって・・・
地震で5時間強歩いて思ったことがある。

地震になって、困っている人のために一晩中頑張ってくれた方もいれば、地震になって、早々に店じまいをして帰路についた人もいるということだ。

道を歩いていて、都心の松屋では早々に閉店していた。あるいは「臨時休業」ということで、シャッターを下ろしていた店も多く存在した。

職場を放棄するような行動だったとしても、このような緊急時だし、またその決断に至った背景を知らない以上、非難することはできないし、するべきではないだろう。

一方で、いつもなら閉店しているはずの居酒屋が、夜の1時半に開いていて、帰宅難民で満員の状態だった。きっと、一晩中とめてあげるのだろうと感心した。

復旧したあと、一晩中運行し、私のような帰宅難民を救済した西武電鉄。実際、歩いた距離は20キロということが判明したが、自宅まではちょうど30キロあったので、あれだけ歩いて、まだ2/3ということだった。西武が復旧しなかったら、青梅街道の途中でのたれ死んでいたかもしれぬ。

通常、休日は閉店しているところでも、被災者を救済するために臨時に営業をしているケースもあるそうだ。

あるいは、テクテク歩いていたところ、確か区立天沼小学校の前で「もし、帰れなかったら、ここに戻ってきてくださいね!」と声をかけてくださったところもある。寒さに凍えて歩いていると、そのようなさりげない言葉が、心を暖めてくれる。

また、先に話した松屋も、武蔵関駅前の店は、看板メニューの「牛めし」を切らしながらも、深夜0時44分には営業していたのだ。「牛丼屋では看板メニューの牛丼を食べるべし」というポリシーを持っている私も、豚めし並のおかげで、空腹を凌げたわけである。

企業としたら、従業員が無事帰宅できることが大事だし、物流がストップして看板メニューがない状態では営業も厳しいだろう。あるいは、大きな揺れで、鍋がひっくりかえって火災や火傷を生じさせることもあり、総合的な判断から営業中止ということもトップの判断としてあるのかもしれない。

しかし、電子レンジで調理するものもあれば、武蔵関店のように、あえて「牛めし」は提供せずに、できるものだけ提供して、困っている人を1人でも救済するという選択肢もあったはずだ。すくなくとも、帰路の途中の「すき家 中野西店」は、店長らしき人とインド人らしいスタッフ2人で、「時間かかりますけど大丈夫ですか?」と多くの人々を救済していた。

あるいは、今回の「オーバーナイトウォーク」最大の支援者は「石神井警察署関前交番」といえる。交番前に「西武線復旧」の表示をしていただいた上に、関前南三丁目の交差点に「西武線復旧 武蔵関駅まで徒歩5分」と張り紙をして下さった。あと10キロ、足の状態からして3時間はかかる道のりを圧縮できたのは、関前交番さまのおかげである。

非常時だから、早々に撤収した飲食店や商業施設を非難することは許されないのだろう。しかし、この非常時だからこそ、自分の身を挺して、被災者を助けてくださった飲食店、小学校、警察等々には、感謝の気持ちでいっぱいである。

ありがたや、ありがたや・・・
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幸せな生活を見直す時機

2011年03月13日 06時10分11秒 | ちょっと立ち止まって・・・
怖れていたことが現実となった。

そう、原発の炉心が溶融したのである。すなわちメルトダウンだ。どれぐらいの被害があるのかわからないが、すでに20キロ圏の人々が避難している。

電気の供給にも影響があるそうだ。計画停電という、初めて聞く施策も実施されるらしい。色々な形で私たちの生活にも大きな影響がでるのであろう。そんな不幸を呪っても仕方がない。そもそも、「電気」が発明されたのは、人類の歴史の中では、ほんのわずかな、刹那の事象なのだから。

卑弥呼も、聖徳太子も、菅原道真も、源義経も、一休宗純も、雪舟も、近松門左衛門も・・・みんな「電気」というものすら知らずに生きてきた。あるいは、時の権力者である聖武天皇も、桓武天皇も、源頼朝も、足利尊氏も、織田信長も、豊臣秀吉も、徳川家康も、「電気」というものを知らずにその生涯を終えた。そう、「この世をば わが世と思う 望月の・・・」と、己の栄華を歌にした藤原道長ですら、「電気」のない、今の私たちから考えれば究極に不便な生活をしていたのである。

そう、今の私たちは「電気」をはじめとする「文明」や「文化」に守られた、昔の権力者ですら及ばない、歴史上、最高ランクの「幸せな生活」を送っているのだ。昔の人々は、寒い冬には凍えるしかなかったのである。そんな中でも、必死に生きつづけてくれたおかげで、そのDNAが今の私たちに伝えられている。

無論、色々なものを生産することや、商売を行う上で「電気」は必要不可欠のものとなってしまっている。しかし、無い袖は触れぬのごとく、無い電力は供給できないわけだ。

もっと、省エネの生活を目指してみてはどうか。我々、一般人が節電すれば、ひょっとしたら、生産に不安のないくらいの電気が捻出できるのかもしれない。今の我々の生活といえば、人がいないところでも照明をガンガンつけている。あるいは、日中の明るい時間帯でも、必要無いほど電気で明るくしている。夜もそうだ。電気が安いのをいいことに、昼間と同じくらい明るくしている。それはそれで、防犯上のメリットがあるのかもしれないが、「電気」の供給がおぼつかない現状においては、見直すべきではないか。

そもそも、「日本の伝統」ともいえる「お化け」や「幽霊」がなりを潜めてしまったのは、この「夜の闇」がなくなってしまったからではないかと思っている。「うらめしい」ことは、過去も現在もかわらず存在するはずなのに、この、電気による「明るい夜」が、それら「物の怪」の居場所を奪ってしまったのだ。日本の夜は、「明るすぎる」のである。

私の偏った思いはともかく、電力の供給が少なくなるのは事実だろう。その少なくなった電力でも耐えていけるよう、日々の生活を見直したい。
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