世紀の大カンニングが話題の中、たまたま、会社で「フラ夫さんの最終学歴は何?」と聞かれた。
職場の全員ではないが、私が「異様な学歴」であることを知っている人もいるのである。仕方がないので「大学評価・学位授与機構の学士(経済学)です・・・」と答えておいた。最終学歴とは、学校教育について一段落ついた人に聞くべきものである。
どこの世界に、現役の大学生に向かって「君の最終学歴は何?」と聞くだろうか?たとえ東大生でも「××高校卒業です」ということになってしまうだろう。それと同じで、私は、まだ、現役の武蔵野大学大学院M1生なのである。学習継続中なのだから、最終学歴は固まっていないのである。
というような、くだらぬ言葉遊びはさておき・・・大学や大学院で学ぶことについて、大切なことは価値観であると思っている。
というのも、給与をアップさせる、あるいは、転職や昇進・昇格を目指して学校に行っているのなら、その価値観はあまり役に立たないだろう。よく、このブログでも書いているのだが、わずか、数年、しかもパートタイムの学生として大学院や大学に行っても、大した役には立たない。実際、やった私が言っているのだから間違いない。
そんなに世の中、甘くないのだ。
なら、私は何のために学び続けているのか?それは生涯学習のためである。仕事では今のままでもいい。しかし、自分個人としては、仕事に忙殺されるだけでなく、何か、成長を感じることのできるものが欲しい。そういう者にとって、学校で学ぶことは効果的である。
大学・大学院だけでなく、資格もそうなのだが、見返りを求めた段階で、それは純粋な学習ではなくなる。そして、思い描く見返りが充足できなかった場合、「学んで損した!」ってことになるのだ。勝手に自分が想像した結論に至らないだけで、学習をバカにする。そんなやつに、生涯学習の女神は微笑まない。
無用の用を認める価値観。そういう価値観がないと、なかなか、学位や資格を、一般の人が想像する以上に取得することは難しいといえる。逆に、見返りを求めない学習ができれば、いつの間にか、その道の第一人者になっている・・・かもしれない。
職場の全員ではないが、私が「異様な学歴」であることを知っている人もいるのである。仕方がないので「大学評価・学位授与機構の学士(経済学)です・・・」と答えておいた。最終学歴とは、学校教育について一段落ついた人に聞くべきものである。
どこの世界に、現役の大学生に向かって「君の最終学歴は何?」と聞くだろうか?たとえ東大生でも「××高校卒業です」ということになってしまうだろう。それと同じで、私は、まだ、現役の武蔵野大学大学院M1生なのである。学習継続中なのだから、最終学歴は固まっていないのである。
というような、くだらぬ言葉遊びはさておき・・・大学や大学院で学ぶことについて、大切なことは価値観であると思っている。
というのも、給与をアップさせる、あるいは、転職や昇進・昇格を目指して学校に行っているのなら、その価値観はあまり役に立たないだろう。よく、このブログでも書いているのだが、わずか、数年、しかもパートタイムの学生として大学院や大学に行っても、大した役には立たない。実際、やった私が言っているのだから間違いない。
そんなに世の中、甘くないのだ。
なら、私は何のために学び続けているのか?それは生涯学習のためである。仕事では今のままでもいい。しかし、自分個人としては、仕事に忙殺されるだけでなく、何か、成長を感じることのできるものが欲しい。そういう者にとって、学校で学ぶことは効果的である。
大学・大学院だけでなく、資格もそうなのだが、見返りを求めた段階で、それは純粋な学習ではなくなる。そして、思い描く見返りが充足できなかった場合、「学んで損した!」ってことになるのだ。勝手に自分が想像した結論に至らないだけで、学習をバカにする。そんなやつに、生涯学習の女神は微笑まない。
無用の用を認める価値観。そういう価値観がないと、なかなか、学位や資格を、一般の人が想像する以上に取得することは難しいといえる。逆に、見返りを求めない学習ができれば、いつの間にか、その道の第一人者になっている・・・かもしれない。