今日は国分寺で新しいメガネを作った。
今あるメガネのコーティングが剥げ落ち、視界が十分ではなかったので、新しいレンズを注文するとともに、新しいメガネを注文した。
レンズの値段は、家内のメガネ本体の値段より高額・・・今って、安いメガネは本当に安いんですよね。レンズだけで1万円以上するのに、本体レンズで1万円しないのだから。家内はコンタクトでメガネは夜にするくらいなので、激安メガネの店で、高めのレンズを入れて1万円をちょっと切るくらいの値段で作ったのだ。
私が新しく作ったメガネは大手メガネチェーン店のもので、家内の3倍ほどの値段。まぁ、それ相応の値段なのであろう。
メガネの調子が悪くなると、勉強するのもイヤになる。そう、自分で好都合な理由をつけて勉強を避けていたのだが、そういういいわけも使えなくなる。いや、もう一本、家専用の、時代遅れの大きなレンズのメガネがあるから、見えないといういいわけは通用しないのだが。
最近、本当にメガネって、小さくなった。家内の購入したのも、おしゃれな小さなメガネ。私は顔が「デカイ」ので、小さなメガネだと、バランスが悪くって、とてもじゃないが、恥ずかしくて外を歩けない。とはいえ、フィンガーファイブのようなデカイメガネも、恥ずかしくて歩けなくなってしまう世の中なのだが。
国分寺から帰ってきて、やはり疲れのせいでグーグー寝ていたところ、子どもに「パパ~電話!」って叩き起こされた。電話の主は、産能大学時代のゼミの先生。安否の気遣いの電話か?と思ったのだが、そんな前置き一切なしで、「某講演会に出席しません~?」ってお誘いの電話であった。先生~お誘いうれしいのですが、特別な理由がないと期末の3月の平日に休むのは難しいのです。
そういえば、崩れ落ちた多数の本の中に、先生の著書があった。私の名前の下に「輝いて 生きて下さい!」というコメントとともに、「Jul.19th’04」という日付があった。そうか!先生と私は2004年7月19日には既に縁があったということなのですね。産能大学に入学して、3ヶ月ちょっとで、将来の恩師と私は出会っていたわけです。
輝いて生きているには、ちょっと、程遠いな~と思いながらも、そのままのサラリーマンオンリーの生活を送っているよりかは、幾分、光っているのかもしれないと振り返っております。少なくとも、そのままの生活では知ることのできない世界を経験することができているので。
新しいメガネを選ぶように、新しい学問を選んでいければと思っています。そうすることで、曇った視界が明るくなるのだから。