生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

緊急事態宣言は・・・

2020年05月10日 21時13分23秒 | その他

5月31日まで延長となった緊急事態宣言。

ここにきて、「緊急事態宣言自体必要なかった」という過激なコメントをする人も出てきた。無論、「後出しジャンケン」であり、そういうコメントは緊急事態宣言を出す前に言うべきである。

というか、そもそも多くの国民が「政府、早く行動を起こせ!」と言ったので、遅ばせながらというか、しぶしぶというか、緊急事態宣言が出された。出した以上、劇的な改善が確認できなければ解除できないというのは誰にでもわかる。

そして、その緊急事態宣言を出した政治家を選んだのが我々国民である以上、多数決には従うべきである。どうしてもイヤなら、宣言が出される前に行動を起こし、政治家をリコールするなり、反対運動を起こすべきである。それもしないのに、この時期、後付けで「緊急事態宣言はそもそも不要」って、、、

「表現の自由」がある以上、言うのは勝手だだが、私を含め、自粛を余儀なくされている人々にとって、その行動自体を「否定」する言動は、現在の自粛生活を愚弄されているみたいで不愉快極まりない。私のように、最低限の政府のお願いは守っているものの、「出勤し」「外食をしている」いわるゆ「ライト自粛者」である者でも不愉快なのだ。ましてや、「一切の外出を自制しているハード自粛者」にとってみれば、「お前の行動自体、無価値なんだよ!」って言われているのも同じで、尊ぶべき高邁な自制心をないがしろにされたに等しいだろう。

この、緊急事態宣言は不要と発言をする人々は、崩壊寸前の医療現場をどう思っているのだろう?休日返上、過酷な毎日、命を失いかねない高リスクの現場で働かざるを得ない方々を前にしても「緊急事態宣言は不要」と言えるのだろうか。

医療現場の善意に助けられて、今の日本は、コロナの危機とギリギリのところで戦っている。医療現場の方々も労働者。残業もしたくないし、休みも取得できるはず。それを強いて我慢いただき働いていただいています。あるいは、ここで「ストライキ」や「ボイコット」、「集団退社」もやろうと思えばできるはずですが、コロナ危機の拡大防止のために献身的に働いていただいているのです。

それを・・・医療崩壊を回避するための緊急事態宣言で、それなりに効果はあったはずなのに、そもそも不必要って、どういう考えなのか?このような発言をする人と同じ価値観の人が、緊急事態宣言にもかかわらず外出し、コロナをばらまいたのではないのか?「緊急事態宣言を出さなくても自発的に自粛する」といった発言もあったが、緊急事態宣言を出しても全員が自粛していないんだから、勝手な仮定論で「自発的に自粛する」といった夢物語を語るべきではなかろう。

 

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学習を・・・

2020年05月10日 10時35分12秒 | その他

久しぶりに、仏教関係の書籍を開き、ネットで確認等を行ったのですが、やはり、知識の衰えは避けられません・・・

振り返ると、今年4月になってからは「大学生でもなく」「資格の勉強をするわけでもなく」、全く学習をしておりません。こんなことでいいのか・・・と思いつつも、単身赴任だし、コロナで自粛が叫ばれているし・・・とも思ってしまいます。

過去の学びの履歴は、他の追随を許さないほど、結構、自律的かつストイックにやってきましたが、生涯学習は「過去」ではなく、「未来」に繋がる「現在」が大切。今では、何もせず「駑馬にも劣る」状況。コツコツ学びに勤しんでいる方に及びが付かないレベル感です。

本当、この緊迫した環境において、モチベーションを切らさず、頑張っておられる方には脱帽です。立派です、尊敬です、学ばない自分が恥ずかしいです。

ただ、ムリは禁物。ムリのない範囲での学習なら、このまま継続していただきたいですが、コロナのリスクをかぶってまで、その学びを続けるというのなら、一度、立ち止まって「それが本当に正解なのか?」を見つめなおしていただきたいと思っています。

さあ、私も、何か始めようかな。

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かんせんしょう

2020年05月10日 09時50分02秒 | その他

テレビを見ていると、コメンテーター方々が「感染症、感染症・・・」と口々に叫んでおられます。

しかし、多くの真宗門徒は「かんせんしょう」と聞くと、勤行で読誦する「正信念仏偈」の一節、「萬善自力貶勤修 円満徳号勧専称」の「かんせんしょう」を思い出すのではないでしょうか。

そして、このフレーズを現代語に訳すと「よろずの善根を積み、それを頼みとする自力の行は、人としての目覚めの道を覆うので、功徳まどかなみ仏のみ名を、ただひたすらに称えよ、とすすめられました。」となります。

そう、このフレーズは「絶対他力」を表すもの。自力本願ではなく、「南無阿弥陀仏」と「ただひたすら称えること」=他力本願を示すものとなっております。

奇しくも「感染症」が「勧専称」と聞こえてしまい、それが、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と念じることを勧めるところだとは・・・

武蔵野大学大学院に入学していなければ、「正信念仏偈」が口から出ることもなかったでしょうし、今、ここで確認しなければ、ただ「かんせんしょう」って同じ響きの言葉があるな~という感じで終わってしまうところでした。

今のコロナは自分の力ではどうにもならない状況・・・ゆえに、我々門徒は、できることはできるだけ対応して、それ以上は、「南無阿弥陀仏」と念じるしかないのかもしれません。

 

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叩きすぎると・・・

2020年05月10日 09時04分47秒 | その他

そういえば、会社の同僚から「山梨から東京にバスで帰った人が、ネットで晒されている」という話を聞きました。

先の記事でも書いた通り、日本人は「ルール逸脱の一人勝ち」には非常に厳しい国民性があります。勝手に「村八分の遺伝子」と思っていますが、時には、それが「いじめ」にも発展していきます。特に、今は、外出自粛でやることがないため、多くの「ルール順守のまじめなネット民」が拡散させ、炎上していきます。

「自業自得」と思う人もいれば、「やりすぎ」っていう人もいるし、自粛警察関係者なら「まだ手ぬるい・・・」と思っておられるやもしれません。

私は、BBQにも行かなければ、ゴルフにも行かないし、高速バスで東京に帰ることもないので他人事なのですが、やはり、帰省していることに「羨望」「嫉妬」と言った感情も持ってしまいます。ただ、この女性の嘘偽りの報告ために、医療関係者や保健所が翻弄されたことは残念です。

でも、ここで、彼女やその他の感染者を叩きすぎると、あまりの恐怖に「コロナの症状が発生しても黙って済まそう・・・」っていう人がでてこないか?そちらの方が心配です。

熱があっても、気管や肺の調子がおかしくても、コロナ感染者となってしまうと過去の行動が暴かれ、そこに「パチンコ」や「飲み会」といった自粛事象があった際、「つるし上げ」が怖くて言い出せない。結果、「コロナウイルス」をばらまきながら、休むこともできず、日常生活を過ごさざるを得なくなってしまう・・・

そう、たかだか1回行ったのパチンコや、秘密の飲み会・コンパといったものを隠そうとしたため、自分自身が「暗殺兵器」となって、感染させた人の命を奪うこともあるわけです。感染させた人だけではありません。海外では過酷な医療現場に耐え切れず自殺した医師もいます。感染者を蔓延さえることは、医療現場を更にひっ迫させ、医療に従事する人を追い込みかねないのです。

自身の保身のために、嘘をつかなければならない状況に追い込みかねない「叩き過ぎ」といった行動。このナーバスな状況では、その「嘘」が、人の命を奪いかねないわけです。叩かれる方も、叩く方も、自分の行動に対して「それがどのような結果をもたらすものなのか?」と考えていただければ・・・と願っております。

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今頃になって・・・

2020年05月10日 07時59分56秒 | その他

「三密」って、改めて考えると、今頃になってわからないことがあるのに気が付いた。

三密とは以下の3つ。

①換気の悪い密閉空間であること
②多くの人が密集していること
③近距離(お互い手を伸ばせば届く距離)での会話や発生が行われること


これらの条件が重なった時に、集団感染の危険性が高まるとのこと。で、わからないこととは「3つの条件が重ならなければ危険性はないのか」というところ。

今、「パチンコ業界狙い撃ち」となっているが、少なからぬ人々が「パチンコは三密ではない」「逆に、パチンコこそ、三密から最も離れた業種」といった提言をされている。

特に①について、「パチンコは従来からタバコの煙がひどかったため、換気がトップレベルでなされている」という主張。あるいは③の「パチンコは台に向って黙々と行うので会話自体がない」というもの。②についても「1台1人なのでライブハウスや電車のラッシュと比べても密集していない」という考える人もいる。

そもそも、三密って、三つ重ならなければセーフなのだろうか??

というか、原点に帰って考えなくていいのか?そう「不要不急の外出を控えましょう」ってところ。「三密ではないからOK」っていうのなら、多くの店が従っている「前倒しでの20時閉店」も必要ではないはずだ。「屋外のフラワーフェスティバル」や「河川でのBBQ」も自粛される必要性は低くなる(順番待ちで密集する場合は別だが、パチンコだって、開店前は行列が発生している)。

「大相撲」も、「高校野球」も、「インターハイ」も、無観客や、複数の人々が重ならなくするといった運営を行えば、三密が同時に3つ重なることを避けることは可能で、自粛する必要はないはずだ。でも、万々一のコロナ感染リスクを鑑み、苦渋の決断で実施を回避している。

この背景で、日本の国民性が「自粛警察」というものを発生させる。そう「正直者がバカを見る」という事実を我々はきらう。あるいは「みんなと同じ行動をしないと、村八分になる」という黒歴史がある。明治、大正、昭和、平成、そして令和の時代に、江戸時代の風習が前面に出てくること自体、おかしな話なのだが、江戸時代の方が、明治、大正、昭和、平成、令和を合計した年数より長いのだから、そんなに簡単に慣習が廃れることはない。

というか、日本の伝統文化を見てほしい。先ほど挙げた「大相撲」ネットで調べると『我が国の相撲の起源としては、古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある力くらべの神話や、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説があげられる。 』とされる。簡単に過去の歴史を忘れるような国民性なら、相撲なんて残っていない。江戸時代だけでも265年、それ以前からも「狩猟ではなく、稲作中心のメンバーが協調しなければ成り立たない村の集落では、勝手な行動をする構成員は追放されていた」可能性があり、その国民性からすると、「捕まらなければやった者勝ち」とか「首長に言われても従う方がバカ」って風にやってしまうと、反感を受けるのは当然かもしれない。

近くにパチンコ屋もないし、パチンコしないから、本当申し訳ないのだが、このように分析するだけ。「開店しないと倒産する!」という話もあれば、「知事の要請に応じて閉店しろ!」っていう主張もある。どちらも、立場が違うだけで正解なのだろう。しかし、MBAとして経営学を学んだ立場からすれば、ステークホルダーの一角である「地域社会」の要請を謝絶していては、今は乗り切れても、今後の発展はないだろう。地域社会からの歓迎や事業への理解がなければ事業は継続できない。特に、パチンコ業界は、普段からも「ギャンブル性」「騒音」「違法駐車」等々により地域社会からマイナス評価されることがままある。こんな時期だからこそ、「ルールに従順、紳士的な対応」をアピールすべきと思うのも事実。

そして、もし、パチンコに行った人が、それが原因でコロナになったのなら、あえてこの時期不要不急の外出をしたのだから、医療従事者に負担をかけないでほしい。医療崩壊もささやかれる中、少なくとも「首長から自粛が要請され、それに反する施設に行った」わけだから、死を覚悟してパチンコをしている以上、貴重な医療にかかるマンパワーを阻害することはないように・・・と思うのは、人として不誠実だろうか?

※それ以前に、休み返上、不眠不休でコロナと戦っている人がいるのに、自粛要請されているパチンコで遊ぶ、立入禁止とされる河原でBBQをする・・・思いやりの心を持っているなら、「せめて、ルールは守ろうか」と思うのだが、それすら不要なんだろうか。

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