「蓬ぜん」の最寄駅は犬山口。
本当は、犬山口駅で下車するはずだったのですが、わざわざ、この1駅で交通費がアップすることを厭わず犬山駅まで行った理由。それは「トイレがなさそう」だったこと。
犬山口駅で下車しようと座席を立って待っていたのですが、駅舎にトイレなさそう・・・
そもそも、上りと下りの両方にホームがあるタイプの駅は、トイレを設置する場合、2ヵ所つくらなければならないため、乗降客数が少ない駅ではトイレがないケースがままあります。無論、真ん中に1つのホームの場合でも、トイレがないことはままありますが。
早朝から起きて・・・というか、ほとんど寝てない状況で、何杯もコーヒーを飲んでしまった結果、とてもじゃないけど、寒い中、順番待ちで長時間寒空の下でトイレに行かずに堪える自信がありませんでした(笑)。
犬山まで行ったおかげで、犬山城も見れたし、まだ記事にはしていませんが、今まで行ったこともない場所にも行けたし。無理して一歩先に行けば、無理した一歩分の見返りはかならず還元されます。それが因果応報の理。何かをすれば、何かが返ってくる。それがわかっているから、「人生」というものに意味付けしたいがため、人は活動するのです。たとえ、こんなコロナの時期であったとしても、自宅に引きこもって何もしなければ、それはある意味、因果応報の理を断ち切り、無為に人生を浪費しているのと同値。ゆえに、人は「外出したい」「アクションしたい」と自粛破りを行い、生きているこの瞬間の「意味付け」をしてしまう。
というか、それが人としての本能だから、自粛されるとすごくストレスに感じてしまう。世界共通の認識として、犯罪を犯すと牢屋に入れられる現状を考えればわかるはず、そう、外に出れないということは、人間にとってのかなり高レベルの「お仕置き」であり「苦痛」なのです。さすがに死刑には劣りますが、それでも行動に制約をつけられて、行動範囲を限定されるのは、人にとって「痛み」なのです。
「ちょっと」というか、「かなり」脱線してしまいましたが、犬山口の隣の「木津用水」って読めます?
そう、以前もご紹介しましたが「こつようすい」です。
これを「きづようすい」って読むようでは、まだ、愛知県民としてビギナーってところでしょうか?