武蔵野大学大学院の第1期の合格発表があったのですが、ふと、「大学院に行ったらどうなるのか?」ということが気になって、母校のHPで調べてみることとしました。
まずは、産業能率大学大学院。
『実践的な教授を行う教育課程を通じて、マネジメントに関する高度な専門性と問題解決能力を有し、組織や社会の発展に貢献できる人材を 育成することを教育研究上の目的とする』そうです。う~ん・・・「高度な専門性」とか、「問題解決能力」って保有しているのか、あるいは、「組織や社会の発展に貢献」できているのかって考えると、ちょっと目的に届いているか微妙。
次に明星大学大学院。
『本通信制大学院では、より専門的に業務遂行に必要な高度の研究能力をもった専門的職業人の養成を主な目的としています』とのこと。「業務遂行に必要な高度の研究能力」ですか、、、いや、それ以前に「専門的職業人の養成」って、なんだか、やはり先生といった教職方面の方が対象に思えてしまいます・・・
そして、武蔵野大学大学院の人間学専攻の方。
- 仏教精神に則り学術の理論及び応用する能力を身につけていること。
- 現代社会の中で適応困難を来たしている人たちの心理や行動のメカニズムを理解する能力を身につけていること。
- 仏教の人間観、死生観に基づいて、社会の様々な課題を解決できる能力を身につけていること。
- 人間と社会環境に関して幅広く理解できる能力を身につけていること。
- 人間の精神、思考の根源の上に立って人間関係の新しい構築や修復を図れる能力を身につけていること。
この5つが学位授与方針です。5つもありますが、ディプロマポリシー、結構重い。。。
あるいは放送大学大学院の人間発達科学プログラム。
『人間の心理的及び社会的な発達のメカニズムを理解し、現代の学校や家族あるいは地域社会が直面する教育課題を科学的・実証的に把握した上で、そうした課題に積極的に取り組み、多様な学習ニーズに対応していくことができる指導的人材の養成』ということで、こちらも、学校の先生が対象といった側面がありそうな内容。学習ニーズに対応って、当に教職って気もせんでもないか?
最後に、武蔵野大学大学院の仏教学専攻の方。
- 仏教精神に則り学術の理論及び応用する能力を身につけていること。
- 仏教についての専門的知識を身につけていること。
- 仏教の人間観、死生観に基づいて、社会の様々な課題を解決できる能力を身につけていること。
- 人間と社会環境に関して幅広く理解できる能力を身につけていること。
- 人間の精神、思考の根源の上に立って人間関係の新しい構築や修復を図れる能力を身につけていること。
項番2を除いて人間学専攻と被っています。ですので、このディプロマポリシーは厳しい。。。
本当に、こんなに専門性やら能力やらを身につけているのか不明です。正直、自信がありません。というか、そんな特殊能力を発揮できるような場所や場面に、平凡なサラリーマンが遭遇することはなかなかありませんから。
なら無意味なのかというと・・・そうでもないような気がします。何度か、書いたことですが、日本を代表するようなジャーナリストの方と引け目なく対話をすることもできたし、死んだら新聞に掲載されるような御仁とも生前何度か論戦し耐えきったし、東大、京大、名大、その他もろもろのアカデミックの先生方や、有名企業の代表者の方々と対等に戦えたという実績はあります。
それこそ、産能院の時は日本を代表する企業の代表者が相手だし。まあ、こちらは大学内という「温室」での受け答えなので、先の野戦と比べると、楽と言えば楽。でも「テレビ」や「新聞」で名前が出てくる方々なので、少々、度胸がないと、きついかもしれません。とはいえ、日本の製造業トップの代表取締役と、日本の小売業トップの代表取締役双方に、質問を吹っ掛けた一般サラリーマンって、そんなにいないはずなので、気合を入れた分、いい思い出になっています(笑)。
結果、自分では知らないうちに、大学院の目的やポリシーに従って、学位を授与されただけのスキルを習得しているようでして。基本、学位取得のみを目標にしていないので、それはそれ、ぐうたらかつスロースターターな中にも、他の院生と比較しても引けを取らない程度には学んできましたから。
普段の生活では、面倒だし、リスクを負いたくないので、「技」は封じていますが、危機的な状況や、戦わねばならぬ時には、それなりに、得たスキルは役に立っているようです。ですので、合格した方は、愚直に、そして好奇心旺盛かつ積極的に、大学院というステージで修業を積んでいただければと思います。きっと、その経験が役に立つ日が来ますから。