★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

突発性難聴(発症45日目)

2008年05月17日 | 突発性難聴(右耳)

【突発性難聴☆闘病記録】(32)

★2008年5月17日(土)★
 <治療開始35日>
今日は初夏のような陽気だった。
気晴らしに、美容室とネイルのお手入れにお出かけした。

やはり、街中に出ると、
いろいろな雑音が耳に響いて、
耳鳴りがひどかった。

その症状は、だんだん重くなっている。

この前まで、こんなことなかったのに、と感じることが多い一日だった。

でも、昨日、森山医師(仮名)は、
外出や会話を控える必要はないと言われたので、
気にしないことにして楽しんだ。

1ヶ月前くらいに会った友人たちは、
その頃より、症状が重くなっているので驚いて、
みんなが口をそろえて、
「ちゃんと大きな病院で診てもらったら?」って言う。

「そうなの、来週はちゃんと診てもらうから」って話した。

和の中に入って会話しても、
以前のように聞き取れない不便さと、もどかしさで、
ちょっぴり惨めな気持ちになった。

この1ヶ月余りがムダに思えてきて、すっきりしない。


ネットで、「耳鳴り」「難聴」の検索をすると、

どの記事にも、早期治療が重要と書いてある。
早期だと回復の見込みがあり、
手遅れだと、回復の見込みがなくなるという大きな違い。

だから・・・・・・・・・・・

必死で・・・・・・いつも、訴えてきたのに・・・。

取り戻せない『時間』・・・・・・。


4月3日、この耳鳴りと難聴の症状が出てから、
どのくらい、病院にかかったかを振り返ってみた。

≪かかりつけ医受診≫
4月8、21日

≪森山耳鼻科(仮名)受診≫
4月12、14、17、22、28日、
5月2、9、13、16日

≪H病院(総合病院)にてセカンドオピニオン≫
4月15日

≪脳神経外科にてMRI検査≫
5月1日


以上、病院で診察を受けた日。


最初に耳鳴りの相談をしたのは、
かかりつけ医の近所の内科だった。
たまたま、花粉症の薬をいただく日だったので、
その時、耳鳴りの症状を話した。

そこから、私の運命が決まった。

内科の先生が、抗生物質を処方しないで、
「すぐに、耳鼻科受診してください!!」
とアドバイスをくださっていたら・・・

そして、私が耳鼻科に初めて行った日が12日の土曜日だったため、
患者さんがすごく多くて、
落ち着いて診察をしていただけなかったのでは・・・と悔やまれる。

森山医師は、すぐに「突発性難聴」と決めつけないで、
もっと、私の訴えを聞いて、
慎重に診断をしてほしかった。
診断に基づいて、治療(投薬)も変わったと思うから。


などなど・・・・・・悔やまれることが多い1ヶ月余り・・・。

私が、今、何故、いらだたしい気持ちでいるかというと、
この1ヶ月は、治る見込みのリミットだった。
私にとっては、生涯の大問題。

『時間』との闘いだった。

でも・・・・もう・・・・時間は戻ってこない。

私の症状も、最初の軽い症状に戻らない。
(今後の回復は別として)


私は、いつも、頑張ってきた。
それは、闘病記録に残しているとおりである。

先生の言われる日には、きちんと診察を受けて、
その際には、1回、1回、
自分の症状をきちんと医師に伝えてきた。

先生の注意は、忠実に守ってきた。

それなのに・・・・
何故、今、こんなに苦しまなくてはならないの?
何故、症状が改善されないの?

まぁ・・・いろいろあるけれど、
過ぎ去ったことを考えても仕方ない。
他人を責めても仕方ない。

自分自身の問題だから、
これから先のことに希望をもって、頑張ろう。


来週には、義兄の紹介のもと、
耳鼻科の名医の診察を受けることができる。
その上で、今後の治療方針が決まることになる。





Comments (2)
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