★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

突発性難聴(発症51日目)

2008年05月23日 | 突発性難聴(右耳)
【突発性難聴☆闘病記録】(38)

★2008年5月23日(金)★
 <治療開始41日>

今日は森山耳鼻科(仮名)の診察日だった。

今まで、耳鼻科に行く日は気が重かったのに、
今日は違っていた。

今の私は、
「突発性難聴」をしっかり受け止め、
そして、後悔のないよう、
できる限りの治療を続ける悟りの境地となっている。

3人の耳鼻科の専門医の診察を受けた私の結論でもあった。


『時間』との闘いだった『第一段階』が過ぎ・・・

「何故?」とか、
「治るの?」とか、
もう・・・・・・その次元ではなくなった。

完治の難しい突発性難聴を、
いかにストレスを感じずに、
乗り越えるか・・・・

僅かでも治る可能性があるのなら、
今、投げ出さないで闘うしかない。


森山医師(仮名)との出会い・・・
慣れるまで時間がかかったけれど、
他の先生方と比べて、良い面も見えてきた。


今日も診察前に聴覚検査があった。

「今日は、低音の部分が少しいいですね」

森山医師は、私を慰めるように言われたけれど、
表情は暗かった。

「進行性・・・ということも考えられますね・・・・・」

聴覚曲線を見ながら言われた。

「・・・・・・・・・・・・」

先生が何を言われても、言葉がない。
大きな動揺もない。


今までだったら、
何故、「進行性」と言われたのか、必ず質問をしていたのに、
今は、聞く気力もない。

聞いたところで、なるようにしかならないのだから。

そういえば、今日の聴力dB(デシベル)>の値も聞かなかった。
聴覚曲線(今日の結果)も積極的には見なかった。


今は、何もかもすべて受け止めて、
やるべきことをやる。
これしか残されていない。


「耳鳴りはしますか?」

「この前出していただいたメリスロンがいいのか、
『ジリジリ』という回数が減ったような気がするのですが」

これに対して、先生の反応は鈍かった。
きっと、「ジリジリ」の耳鳴りは、
専門家にとって大きな問題ではないのだろう、と思った。

もっと、もっと、深いところで、
先生は悩んでおられるのだろうと・・・


「聴こえ方はどうですか?」

「人ごみでは会話が聞き取りにくいです」

「そうですか・・・
薬を前回と同じように出しますから、
引き続き飲んでください。
セルシンはどうしましょう?」

「お願いします。
でも・・・・セルシンを飲んでも、夜中に4、5回目が覚めて、
熟睡できないのですが・・・
もう少し、強いのを出していただけないですか?」

「眠れなかったのは、プレドニンの影響ではないかと思います。
今日からプレドニンを中止しますので、どうしましょうか?」


「そうですね・・・でも、やはりぐっすり眠りたいので、
なにか、安定剤をお願いします」

「えーと、なにがいいですか?」

「他の安定剤をあまり知らないのですが、
セルシン10mgとか・・・」

「10mgは・・・少し強すぎると思います」

「・・・・では・・・・よろしいです。
セルシン5mgで頑張ってみます」

「1週間分出しておきますから、
次は、来週の金曜日に来てください」

「はい、わかりました。ありがとうございました」


≪今日処方された薬≫(7日分)
             
★メチコバール錠500 1日3回 毎食後(朝1錠 昼1錠 夕1錠)
 (ビタミンB12。末梢神経の働きを正常にする薬)

★アデホスコーワ顆粒10% 1日3回毎食後(朝1包 昼1包 夕1包)
 (血液の流れをよくする薬)

★メリスロン錠6mg 1日3回毎食後(朝1錠、昼1錠、夕1錠)
 (めまいを改善する薬←私の場合耳鳴り改善のための薬)

★セルベックスカプセル50mg 1日3回(朝1個 昼1個 夕1個)
 (胃の粘膜を丈夫にする薬)

★セルシン5mg 1日1回 就寝前1錠
 (不安や緊張を和らげる薬)



最近、5時間くらい睡眠がとれるようになったけれど、
必ず、4~5回は目が覚めて熟睡できない。
朝まで目が覚めないで、ぐっすり眠りたい。

森山先生は、安定剤について詳しくなかった。
耳鼻科では処方される機会が少ないのだろうか?
ちょっと不思議に思った。


必死で病気を治そうとした以前と比べ、
言葉少なになった私。

今は、先生の指示通り治療をするのみである。






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