マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

最後の仕上げ

2007年03月11日 | PTA

PTA各委員会では、一年間のまとめや反省会など、最後の仕上げに入っています。

毎年、この時期になると、『下の子が卒業するので、とうとう最後』 という保護者の方が沢山いらっしゃいます。

今年の副会長さん。 同じ高校に三人のお嬢さんを通わせました。 三人目の今回、入学のときから役員を引き受けてくださいました。 3年間、一緒に役員を務めていただきました。 私と高校同窓生です。 私が一年先輩というだけで、いつもフォローしつつ立てていただきました。 心から感謝しております。

また、各常置委員会の委員長さんも卒業生の保護者です。 皆さん、三年間に渡って委員会活動を行って頂きました。 PTAの中心は委員会活動です。 委員さんの話を聞くと、明るく楽しく活動できたようで、本当に感謝しています。

高校のPTAに最初に参加したのは新旧委員さんによる委員総会でした。 それまでの広報委員長さんが三年間を振り返って話をされました。 「本当に楽しい思い出ばかりで、離れると寂しくなります」 と、涙ぐまれて話されていたのを憶えています。

様々な出会い。 そして子どもの卒業後も続く交流の輪。 PTA活動の喜びですね。 別れは寂しいのですが、新たな旅立ちです。 活動の最後の仕上げ時期です。 楽しい活動の秘訣を、次の世代に引き継いで下さい。

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ハチハチ

2007年03月10日 | 喜働

献血を終えて、自分のカードを見てみると。

今回が、88回目の献血でした。 88(ハチハチ)です。

最初の献血は、高校2年生のときだったと思います。 小倉南高校の文化祭に遊びに行ったとき、献血したはずです。 献血車が来ていた記憶があるのですが、あるいは帰りに献血センターに寄ったのかも知れません。 かなり、あやふやです。

以来、87回の献血を重ねてきました。 少しは、世の中の役に立っているでしょうか?

献血の回数については、凄い方が沢山います。 私の尊敬する先輩も、かなり以前に献血回数が百回を超えております。

阪神大震災の十数日後に、血が不足していると報じられました。 翌日、献血センターに行くと、満員状態。 その日は、待っても順番が回ってこないと言われました。 普段は待つことさえ無いセンターなのに。 日本人も、まだまだ捨てたもんじゃないなぁ。 そう感じたのを憶えています。

良いことがあったり、行き詰まったり、ちょっと時間が出来たり、何も理由は無かったり… シチュエーションは様々ですが、献血に行くのです。 生かして頂いていることへの、ささやかな恩返しです。

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毎日チェック

2007年03月09日 | 喜働

最近、日々の実践をチェックしています。

そういうことをやると、しんどいだろうなぁ。 そう思っていたにも関わらず、始めてしまったのです。

物への感謝が出来ているか? 喜んで支払っているか? 打つ手を増やしているか? 基本を大切にしているか? 明るさを身に付けているか? etc.

この中で、最も考えさせられるのは、『打つ手を増やしているか?』 ということです。

私は、今日、何の手を打ったでしょうか? 誰に頼んだでしょうか? 何を目標にして行動したでしょうか? それは、いつ効果が出るでしょうか?

打つ手は無限なのです。 何か方法はあるはずだ。 色々な角度から眺めてみよう。 人の知恵も借りてみよう。 必ず何とか、なるものです。 何故なら、打つ手は常に 無限にあるからなのです。

今日、打つ手を増やしたでしょうか?

他人は誤魔化せても、自分は騙せませんね。 さあ。 私は、打つべき手を増やしたかな? きっと、まだまだ出来ることがあるに違いない!

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世界観

2007年03月08日 | 子育て

1961年。 人類初の有人宇宙飛行士となった、ユーリイ・ガガーリンの有名な言葉。 「地球は青かった」

その後に続けた言葉があります。

それは、次の2つのうち、どちらでしょうか?

  ①見回したが神はいなかった。

  ②そこには国境は見えなかった。

どちらの言葉だと思いますか?

正解は、少しあとに書きます。

1961年といえば、J・F・ケネディが大統領に就任した年です。 翌年はキューバ危機。 そして、その翌年の1963年は J・F・ケネディがダラスで暗殺された年です。  丁度、衛生放送が始まった頃でした。 初期の映像が、暗殺を報道するシーンだったのを憶えています。

十数年前にダラスに行った際に、暗殺現場を訪れました。 犯人が発射した、当時のビルは 『Sixth Froor』 (六階の一室から撃ったそうです) という名前の資料館になっていました。

さて。 先ほどのガガーリンの言葉ですが…

実は、①が正解なのです。 日本では、「地球は青かった」 が有名ですが、世界的には、この 「見回したが神はいなかった」 という言葉のほうが良く知られているそうです。

ただ。 個人的には、②の 「そこには国境は見えなかった」 の方が、しっくりしますね。 言葉としても、前との繋がりが良いと感じます。

しかし、当時の東西冷戦を思い浮かべると、ソ連から ②のような言葉は出てこないでしょうね。

今は、私たちが子供の頃とはまったく異なった世界観が持てると感じます。 21世紀を生きる子ども達が、国境の無い世界を目指せれば、と願います。

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箴言

2007年03月07日 | 喜働

福沢諭吉翁の子供向けの教訓 『日々のおしえ』 の冒頭の文章です。

   おさだめ

一.うそをつくべからず。

一.ものをひろうべからず。

一.父母にきかずしてものをもらうべからず。

一.ごうじょうをはるべからず。

一.兄弟けんかかたく無用。

一.人のうわさかたく無用。

一.ひとのものをうらやむべからず。

有名な 『心訓』 は、この文章を下敷きにしているとも思えます。

   心訓七ヵ条

一.世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。

一.世の中で一番みじめな事は、人間として共用のないことです。

一.世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。

一.世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。

一.世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせないことです。

一.世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。

一.世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。 

人間は、自分が一番好きなこと、一番やりたいこと、一番得意なことを一所懸命にやって、それが他人や社会の役に立ち、喜ばれたときに最高の生き甲斐を感じます。 これは、大島修治さんの著書 『人生 逃げたらあかん』 から引用しました。

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