書架を整理していると、20年近く前の日記帳が。
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読み返してみますと、殆ど業務日誌みたいな内容でした。 何の打ち合わせをしたか。 何処に出張したか。 誰と呑んだか。
日誌みたいな合間に、子どものことも記されています。 その日記の初年度では、子どもは まだ2人。 二年後に 三男が生まれ、そうして親父が逝去して ・・・
すっかり忘れていとこと。
当時、子育てには それなりに悩みを持っていたような記載があるのです。 長男・次男を きつく叱ったこととか、その反省などを綴っています。 短い文章で、なぜ どこで叱ったか、そのことの 悩みと葛藤。 年初の 『今年の目標』 の中に、「感情的に叱らないようにする」 ということさえ記していました。
繰り返しますが、すっかり忘れていました。 あまり苦労せずに 子育てをしてきたと思っていましたから。 当時の自分に 「本当に?」 と訊きたいほどですよ。
ところが、日記も中では、そうした記述が、あるところから無くなります。 それは、三男が生まれてから。 何故かな?
思い当るのは、子育ても三人目になって、少し余裕が出てきたことでしょうか。 三男に何か起きても、慌てなくなっていました。
長男のときは 離乳食にも気を使っていました。 三男が ミルクを飲まなくても、「もう、普通に食べさせたら?」
走って 頭をぶつけても、「直ぐ泣いたから 大丈夫」
理由が判らず グズるときでも、「こんな事 あったよねぇ」
余裕が出来たのでしょうか。
次のようなことを言っていたのは覚えています。
「昔の人は偉いと思ってた。 子ども十人とか育てていたからねぇ。 うちも 子どもが二人目までは、本当に そう思ってた。 育児は たいへんやと。 そやけど、三人目を持つとね、『あと何人でも いけるぞ』 という風に考えが変わった。 これ以上 何人増えたって、もう大丈夫!とね」
もっとも、これに付け加えて、こう言っていましたけど。 「経済面だけは別よ。 三人で、もう既に家計崩壊が目に見えとうけんね」
そう。 『慣れ』 が余裕を持たせ、上の二人に接する際にも 細かいことは言わなくなったのでしょうか。
記憶には無いのですが、日記を順に読んでみると そんな感じがします。
年子になる上の二人が小学生になった頃。 二人が揃って寄ってきて、「お父さん。 高校って行かないけんの?」 「うん、そりゃ行ったほうが良いと思うよ」 二人は うなだれて別の部屋へ。 何かゴソゴソと二人で話して、再び。 「お父さん。 そしたらね、そしたら、高校には行くけ、中学校には行かんでも良い?」 呆れながら、「そりゃダメ。 中学校は絶対 行かないけんとバイ」
人間が 心底ガッカリする とは こういう様子を指すんだろうな、という感じで二人は去っていきました。
夜、家人に言いました。 「俺、二人には勉強のことは もう言わんけ。 身体だけは丈夫に育てようね」
思えば。 こう達観するまでに変わっていたのです。
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