古物をあつかっていると、おや!?と疑問を持つものにしばしば遭遇します。
最近、伊万里コレクターのDr.Kさんが、古伊万里写しではないかとの疑念がもたれる皿をブログアップされていました。そんな品なら人一倍!との確信が私にはあります(^^; そこで、古伊万里、しかも駆け出しの頃の品ではなく、最近入手した疑問品について報告します(ガラクタ蒐集人生も終盤というのにこの有り様(^^;)。
以前のブログで、焼成時に大きな窯疵のある物に色絵を描いた瓢形皿を紹介しました。いわゆる藍九谷が古九谷に変身したレア品です。
下の写真が、その品(5枚)です。
元々の品は、左下の部分(水車、水草、鳥)だけが染付で描かれていて、全体の三分の二は白い皿です。
このタイプの皿は、藍九谷瓢形皿として、時々市場に出ます。
これは、どうしても揃えておかねばなりません。
ということで、入手したのが下の品です。
15.4㎝x11.4㎝x2.8㎝。江戸前期?
わずかのジカンを除けば、ほとんど無疵の品が6枚揃いました。
しかし、いま一つ納得がいきませんでした。
そこで、両者を較べてみました。
形態はほぼ同じです。今回の品(15.4㎝x11.4㎝x2.8㎝)は、古九谷皿(17.2㎝x11.8㎝x3.7㎝)より一回りほど小さいです。
そこで、左下の染付部分を詳細に比較してみました。
古九谷:
今回の品:
両方とも、ダミや墨はじきの技法を駆使して不思議な絵を描いており、出来栄えに遜色が無いように見えます。
左:古九谷 右:今回の品
しかし・・・・
ん!?! 二匹の鳥ですが!!??
念のため、顕微拡大をしてみました。
古九谷:頭(左)と足(右)
今回の品:頭(左)と足(右)
古九谷の方の鳥は、眼玉や足がしっかり描かれています。それに対して、今回の品は、鳥からは程遠いものです。これでは飛べません(^^;
染付の絵全体では、両者の違いはあまりないように思えますが、細部の描写には大きな違いがみられます。やはり、今回の品は、本歌をなぞってあるのですね。
実は、この品を入手した時から、違いに気がついていました。それは手取りです。皿を手に持った感じが違うのです。
特に裏側。
どちらも、付け高台で、中皿にしては高めの高台です。しかし、今回の品の高台には厳しさが感じられません。古九谷皿の方は、やや内向きに付けられた高台を手に持つと、皿の方からもグッと押し返してくるような力強さがあります。それに対して今回の品は、小綺麗にまとまった素直な高台で、何とも物足りない(^^;
また、両品とも、陶板を型にギュッと押し当てて造った瓢型の変形皿です。皿は大きく3つの部分に分かれています。この時、皿に歪みが残るので、焼成した時に窯疵が多く発生します。その疵をうまく色絵で修正したのが以前紹介した古九谷皿なのです。その皿をよく見ると、型押しでできた3つの部分の境界ははっきりとした稜線になっています。ところが、今回の皿は稜線があいまいです。型に押す時、力を手加減しているのです。焼成時に不良品ができるのを避けたのですね。
また、両者、形は同じですが、大きさが違います。今回の品は、古九谷皿よりも一回り小さいです。これは、本歌の皿を手本にして、後から似た品を作ったからだと思われます。陶磁器は、焼成により、1割ほど縮むのです。そこまで考えを巡らしてコピー品を作ることは稀です。私が今までに遭遇してきた偽物の多くは、本物より一回り小さい(^^;
以上を総合すると、今回の品は、江戸前期の藍九谷染付水車水草鳥紋瓢形中皿をまねて、近年に作られたコピー品であると結論付けざるをえません(^^;
ですから、両方とも産地は有田です。だだ、加賀は江戸時代、裕福だったため、これら高級陶磁器の名品が数多く残っています。また、江戸時代後期に、この地方で古九谷を再興した窯が多く出現し、その伝統が今も続いています。お父様が買われた品は、そういった色絵陶磁器だったのでしょう。
なかなかよいお値段ですので、一つ二つと集めていかれるのも楽しいのではないでしょうか。
焼き物すきですが・・・・・・こんなに奥深い物に出会うことはありませんから、至福です。
実かの父がくたに気の窯元から、たくさんの茶器を買って来てくれました。もう半世紀も前。
その古臭さに(?)にかなり処分しました。いま金沢の焼き物やさんに行くと心が痛みます・・・・・こんなに高価だったのと(笑)
職人の手間がかかっているのは高価ですね。
今回の遅生さんの物とはレベルの違うものの話ですみません。
裏模様は、伊万里焼には一般的です。西洋と違って、高級品ではあっても、飾るための皿ではなく、使用を前提に作られています。あの播州皿屋敷の皿も、超高級品の鍋島と言われていますが、使うから割れたのですね(^^;
が、今回のように徹底して色絵付けをしているものは稀です。
波佐見は、伊万里に追いつけ追い越せでやってきましたから、このような技法も古くから知っていたのでしょう。ただ、古い波佐見焼についてはまだまだ未知の部分が多いです。
非常に良くできていると思います。水草や水車など、今回の品の方が良くかけている所もあります。しかし、生きものは動きや表情があるので、上手と下手、本物と真似の差が表れやすいのだと思います。鳥さんに感謝しなければなりません(^.^)
今回は、たまたま本歌が傍にあったので比較できました。染付の品だけだったら、半信半疑でそのまま行ってしまっていたでしょう。
何十年とやってきても、絶対的な基準を持つのは非常に難しいと痛感させられました。ま、これは多分に私の資質のせいではありますが(^^;
いつも間違いを指摘していただきありがとうございます。早速、瓢形に修正しました。
境界線が少し盛り上がって 例えば花模様にお刺身を盛り 白磁にお醤油を入れたかな?
と素人は思いましたが そうではないですね。
このお皿が作られた当時は これにおかずを盛って日常に使われていた
ということはないですね。もともと飾り皿にするために作られたのですか?
裏にまで模様がありますもの。
焼成で、点が飛んだ磁器に絵を更に描き加えて、新たな魅力ある作品としてよみがえらせている、波佐見焼きの窯元で修行している外人の方が新しく試みてるとテレビで紹介されていたので、ホォーと思っていました。
しかし、、、日本に、昔からある手法だったのですね。😆
確かに表情がないですね。
遅生さんの検証の文章に、いちいち、うん、うんと頷いて読みました。
私も、残念ながら、遅生さんの見解に賛同せざるをえないようです(~_~;)
特に、最後の、「陶磁器は、焼成により、1割ほど縮むのです。そこまで考えを巡らしてコピー品を作ることは稀です」というところには、説得力を感じました。
なお、この皿を見ての私見ですが、この皿の染付の絵付けには勢いを感じませんでした。
当時も、下絵かなにかを見ながら絵付けをしたのでしょうけれど、何かを見ながら描いたにしても、そこには、許容範囲というか、遊びがあると思うんです。それで、鳥なら鳥に見えるように描けばよかったわけで、最低でも、鳥の持つ特徴は捕らえて描いているのだと思います。ところが、この皿のように、本歌の皿を見ながら、それとそっくりに写そうとしますから、お手本とした本歌の皿に描かれた鳥がはっきり描かれていなかった場合は、鳥なのかどうかはっきりしなくなってしまったのではないかと思うわけです。また、自然と、そっくりに写そうという力が働きますから、運筆がチビチビとなり、筆に勢いと伸びが無くなってしまったのだろうと思います。
このような高レベルのものが眼前に現われますと、迷いますね(~_~;)
初心者なら、むしろ、「君子危うきに近寄らず」で、最初から避けて通ってしまいますが、かなり判ってきますと、「ちょっと疑問があるけれど、なかなか出会えない物だから、当面買っておくか。後でゆっくり調べよう」ということで、買ってしまいますよね(~_~;)
骨董は、なかなか難しいですよね(><)
あの~、この皿の形は、「木瓜形」ではなく「瓢簞形」ですね。