熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は、1935年(昭和10年)に現在の熊谷市に開校した熊谷陸軍飛行学校の分校として1937年(昭和12年)に設置されました。各地から集まった生徒はここで寝食をともにしながら、陸軍航空兵になるための飛行機の操縦教育を受け、その後戦地へ向かいました。案内より・・・
ほかの兵科から航空兵を希望してきた召集下士官や少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官など、昭和20年2月の閉校までに20期余り、推定1,500-1,600名の航空兵を教育しましたが、昭和18年9月に卒業した少年飛行兵第12期生は45名中18名が、昭和19年3月卒業の特別操縦見習士官第1期生は80余名中20名近くが戦死しています。昭和20年2月以降は特攻隊の訓練基地として使用され、同年4月5日、陸軍初の練習機による特攻となる振武第79特別攻撃隊12名が知覧基地に向け出発しています。この特攻機に途中まで同乗していった元整備員の体験談も公表され、また、特攻隊出発時の写真や隊員の手記、寄せ書きなども残されています。旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会ウェブページより・・・
復原されていたのは 弾薬庫、守衛棟、兵舎棟、車庫棟、便所棟 の5棟
夏に来た時には、休日だったこともあり駐車場がいっぱいだった。なので空くのを待たずに又来よう!と帰ってきちゃったのね。
一昨日は平日だったから・・・
弾薬庫にとまっていたカマキリ
そういえば最近あまり見ない。
子供たちが子供のころ森の家にはトノサマバッタのシャリシャリシャリっと飛ぶ音が聞こえていたけれど、最近見かけない。
カマキリはナ県で借りていた家のお庭にどっさりいて、赤ちゃんが飛び立つのも子供たちとみていた。芝刈りばさみを使ってしゃがんで芝生を刈っていた時、鎌を振り上げて向かってきたっけ・・・早く逃げてね!と言っては私が わ!っと逃げていたんだっけ・・・
私には二人の息子がおります。
「きねんかん」 の 「き」 は 「記」 ではないのです。
・・・祈・・・
あら、アンデルセン!
みぃーつけた ・・・
いつもは地元のお店
そっか、ここにもあるのね?とうれしくなったんだわーい
で、ひさしぶりに くるみパン を連れ帰った。
インスタとブログの違いって何だと思う?
インスタはやっていないからよくわからないけれど、多分素敵な写真を人様にみてもらうもの? ブログは自分の記憶の記録ね。人の旅行記は読んでも大して面白くもないと思うけれど、2度旅したみたいで自分じゃとっても楽しいのよねー
なるほど・・・
だってさぁ、書いとかないとすぐ忘れちゃうじゃない。それに、えっとー?が引き出せるからとっても便利!・・・インスタ始めるの?
写真ねー・・・
そうそう最近お買い物すると3つくらい聞かれるじゃない?アプリがどうのとか、あれやこれや。やっていませんとか、それ知りませんとか応えているけれど、知らない世界がどんどん広がって、おいてかれる感あるよね?
あー、老いて枯れる!ね・・・
なぁんてある日の会話・・・ではなくてメール!
お部屋に入ります。
旅に出てホテルのお部屋に入る時こんなにわくわくした事ってなかったような・・・
露天風呂付のお部屋
テラスにあるからお部屋でバスローブに着替えちゃって外に出て、いつでもどんどん出ている温泉に入れます。
自分のお部屋だから好き勝手に一人でちゃっぽんできるのが至福
写真だと小さくみえるけれど、ぷっかり浮かぶくらい大きなお風呂
出たり入ったり出たり入ったりどんだけ入るのかっ!
効能が薄れるからすぐにシャワーは浴びないように・・・あ、そうなんだ。
なので先にお部屋のお風呂場でシャンプーとか石鹸を使い、それからテラスで何度もドボン!
線路がそばを通っているから電車の音も聞こえて楽しい。
10/11~13
内容(「BOOK」データベースより)
たくさんのユニークな人々が暮らし、日々大小さまざまな事件が起きる花咲小路商店街。すらりと背の高いせいらちゃんが働く「バーバーひしおか」は、古きよき香りが漂うレトロな“理髪店”。小柄な奥さん・ミミ子さんが切り盛りし、素敵に髪を整えてくれますが、店主の旦那さんはのんきに暮らしてばかり。それもそのはず、旦那さんには思いもよらぬ“裏の顔”があって―
読書備忘録
バーバーひしおかの髪結いの亭主はただ者ではなかった。凄い者だった・・・
そして息子の桔平さんは性同一性障害・・・愛が広いのよ。良いことでしょ?・・・ほんとそうだわ。愛が広いって素敵!
セイさんとも大いにつながっていて、なんだ、すごいなこの商店街!ってことで、まだまだ人材豊富とお見受け。
楽しかった・・・
★★★★☆
作品紹介・あらすじ
東京の地下鉄の廃線跡で生活する謎の集団の正体と目的とは⁉ そこに捜査一課と公安刑事の対立が絡み……。驚天動地のサスペンス。
読書備忘録
犯人・・・
だと思った。でもなんで? 見ちゃったんだ。それが仕事!ってところを・・・
OL時代銀座線のホームから線路奥に動くものを見つけたのを思い出した。それ以来、又いるかな?と必ず思って見ていた。3回に1回は見ていた大きなネズミ。
ある場所の話をしたときに、コラッタみたいに大きいのがいる。と・・・環境はらしいね。と・・・
なので人間だったら、動いていたら・・・そんなところにいなくてはならなかった人たちの事情を知って怖くなった。
函館公園を散歩すると、明治時代に建てられたお洒落な洋館の姿が目を引きます。白い板壁にこげ茶の瓦屋根、三角屋根の吹貫玄関が特徴なのが、1879(明治12)年開場(建築は1878年)の「旧函館博物館一号」。道をはさんで隣り合う、白い壁に赤い屋根が映える建物は1884(明治17)年開場(建築は1883年)の「旧函館博物館二号」。どちらも明治から昭和にかけて活躍した博物館です(道指定有形文化財)。はこぷらサイトより
ちょっと前にテレビから流れてきたのを覚えていた。
なので、行ってみよう
公園内には、広場やこどものくに、動物園が・・・
家族連れが楽しそうに遊具に乗ったり、動物見たりしているのを見て、うちの坊ちゃんたちもあちこち連れて行ったわよねー・・・何とかレンジャーと握手会なんてのも・・・懐かしいけれど、もうあそこに戻りたいとは思わない。
函館山がほらそこに・・・
10/11~13