五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

若い御神木に会った

2012年10月03日 | 第2章 五感と体感
昨日の仕事帰りに、電車が止まりやむなく足止めを食らい、仕様が無いので自由が丘で時間を潰しました。

日中、いつも分刻みで動いているので「時間を潰す」という発想が何か新鮮で、どうせならうんと時間を潰そうと、自由が丘散策を試みました。

自由が丘の街は、広い範囲にわたって小さなお店が連なっています。個性的なセレクトショップも多く、ぶらぶら歩くにはうってつきの場所でではあるのですが、古道具や古裂や古書ならワクワク楽しい私が、一人で歩くには、ちょっと手持無沙汰です。そんな私が引き寄せられるように、こんもりとした森へと導かれたのです。

そこは神社でした。熊野神社。

へぇ~、自由が丘に熊野神社があるんだぁ~~

と、思いつつ、境内の横道から入ると、神楽殿が目の前にあり、横をみると本社があり、その社を守るように楠が茂っていました。私はこの楠に導かれたわけです。

自由が丘の熊野神社は、実際には目黒の熊野神社ということで、江戸時代に熊野詣をした人々が、その印として熊野神社から分社していただいたのが始まりだそうです。歴史は百五十年と浅いのですが、目黒の神楽は、ここで見ることができるようです。

住宅街の真ん中にあり、しかもお天気が悪かったので方向が解りにくかったのですが、帰宅し地図で確認すると、江戸時代は鷹狩りの場所であった場所を背に、小高い山に多摩川を見降ろし、本社である熊野神社の方角に向いているように見受けました。

去年の今頃に観た奈良坂の楠は、樹齢千年をとっくに超えていて、多分奈良豆比古神社建立よりも以前に既に御神木であったであろう楠です。それに比べると、まだ若く初々しい楠は、きっとこれからも自由が丘の街を守り続けるのでしょう。

時間潰しで出合った楠に、何となく将来を託す自分の心が合わさったように思いました。

千年先の楠の成長を楽しみに。。。またお参りに伺います。

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すでに自由の中に生きている

2012年10月03日 | 第2章 五感と体感
自分に不自由さをもたらしているものは、何なのでしょう?

私自身、仕事に関してとかお金にまつわること、勉強が足りていないことへの未達成感、人間関係に関して等、不自由さを感じることはしばしばあります。

でも、

「あなたはすでに自由の中に生きている」と言われたら、「たしかに、そうかもしれない」とも思います。

自分を不自由にさせているのは、何なのでしょう?

昨日の腰越勉強会で、改めて「自分が木だとしたら、何の木であるか?」という設問について吟味してみました。

昨日もやはり、ルンビニの菩提樹が浮かんできました。ここ一週間、あちこちの勉強会で、私自身もこの問いかけを皆さんにし、自分自身も考えてきました。

根っこがノビノビと張り、幹もしっかりしつつ、光が当たる方にくねくねと動き、枝も同じです。自分が育つのに都合のよい方向を自然と察知してそちらの方向に伸びていくイメージが強く湧いてきます。
菩提樹の隣にビルができて日陰になってしまっても、きっと光の方向に伸びていくのが、私の菩提樹のようです。

そう解釈している私は、「あなたは、すでに自由の中に生きているのよ」と、言われれば、成るほど、と思うわけです。

あまりにも理想と現実のギャップが開きすぎているのであれば、自分の現実吟味力を点検し直す必要がありそうですが、自由の中に生きている自分を生かしていく自分が「心と身体と魂」を大切にしていることを自覚してさえいれば、なんとか成りそうな気がします。

もし、心も身体も魂も大切にしていると思えないなら、また振り出しに戻ればいいのです。

案外、人は単純な摂理の中に生きているようにも思います。

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