五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

過去は変えられない

2012年10月29日 | 第2章 五感と体感
重箱の隅を突く様に過去を顧みて、自分の今を憂うことは、誰でも一度や二度は経験しているはずです。

でも、過ぎ去ったことを重箱の隅を突くことをどのくらいすれば自分で気が済むのでしょうか?

過去に起こったことは変えることはできませんが、今、これから先の自分は自分次第で変えていくことはできます。

昨日の大河ドラマ「平清盛」は、過去の解釈をどのように生かして今を生きているのか、、、という視点で見てみるととても面白く、45分間正座して見入りました。

平氏を率いる平清盛の生育史と源氏を率いることとなる源頼朝の生育史によるそれぞれの武将の解釈が、彼ら本人の思考と行動と感情を支配し、それが日本の歴史を大きく動かしていることに具体的な面白さを感じ入り、歴史は結局繰り返されるのだと、しみじみ思ったわけです。

源頼朝は父を殺した父親から受けた教育の影響は大きかったと推察します。そして、味方に裏切られて命を落とす父親、頼朝自身は、命は助けられたものの伊豆に流され生きる屍のような暮らし。将来を夢見ることよりも、現実から逃避しひたすら経を唱える日々。最終的には、自分の家臣であれ義兄弟をも信用することができず、過去の囚われから解放されず、、、

一方、冷血な行動と壮大な夢を実行していく平清盛の背景にある闇のような不安感は、平氏の血を受け継いでいない自分の出生の不確定さがデラシネのような自分と「合い重なった時」に、爆発していくのです。

両親の愛。その愛の原型を生涯の宝物として自らの人生を切り開いていくことが、人の業に繋がるとすれば、二人の武将の「生育史」と「愛の原型」は、あまりも壮絶であり、彼らは天から試された男たちである、、、と、ツラツラ思う日曜の夜となりました。

愛の原型が、地球上の人を動かしていくとしたら、その愛とは一体何なのでしょう。

永遠普遍の喜びや、平安感、統御感を求め、その実現をひたすら追い求める平清盛と源頼朝。

人はどこまで満足すれば、良いのでしょう。

でも、幼い頃にその満足感を体感できていなかったら、満足感という体感を知らないだけに、永遠に求め続けていくのです。

幼い頃に愛に満足した体感を経験しているならば、それがその人の尺度になっていくわけですが、その尺度が無ければ、満足してこれで良し!にはなりません。

天に試された二人を考えること、今の自分が見えてくるようです。

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