五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

厳島神社と平清盛

2012年10月15日 | 第2章 五感と体感
先週、厳島神社を参拝しました。

広島から在来線に乗り換え、宮島口駅まで20数分。

宮島口駅を降りると徒歩5分ほどで桟橋に着きます。JRの船は、15分おきに運行。宮島へは10分ほどで到着。

桟橋からも鳥居が見えます。船は、厳島神社の正面の沖を通りながら、観光客にも厳島詣でのプロローグを味あわせてくれます。

もともと佐伯家の神社で(大河ドラマでは佐伯家当主の役は温水さんが演じています。)、御神体の山は弥山(みせん)。
(弥山については明日書きます)

宮島自体が御神体ですのでお墓もありませんし、信号も無く、神の使いの鹿さんたちの餌付けもしておらず、山の鹿と海の鹿のテリトリーがどうもあるようです。

佐伯家が守る神社を海まで広げ、海の中に鳥居を作らせたのが平清盛です。

ここ二年ほど、平家物語を中心に旅をしてきたのですが、厳島神社を参拝することで、区切りをつけることができました。

清盛がこの神殿を構えることは、海へと思いを馳せることであり、宋との貿易による日本の繁栄を夢見ることで自己実現をめ目指す意志の場であることをしみじみと感じることが出来ました。

平家物語は、祇園精舎の鐘の声。。。おごれるものも久しからず。。。から始まり、結局、この冒頭の数行ですべてのような気持にされられたのも、厳島神社に立つことで湧きあがってきた思いです。同時に清盛そのものに焦点を当てることもできました。

平家物語を読むにつれ、源氏がいなければ平家もなく、平家がなければ源氏もない、そんなメビウスの輪のような感覚になっていたのですが、厳島神社に立つことで、清盛というカリスマを素直に感じることができました。

やっぱり、清盛は大器であるな、と。

昨晩の大河ドラマの中で、清盛の本質を私の解釈に近い形で表現していたと感じましたし、後白河法皇にしても、「いまよう(今様)を愛する」という台詞の中に、御白河法皇のアイデンティティにしっくりしたものを感じました。

いまようの中で生き抜いてきたからこそ、生き抜くことができた法皇だったのかもしれません。

今年の初めに、御白河法皇の持仏堂「長講堂」で拝見した「現在過去帳」(法皇自身が現在気になる人を書き連ねたもの)は、法皇の人柄とぴたりと重なっているのです。
いまようを大事にするということは、今この時に活躍している者を気にするということでもあります。その中で法皇としての自分の立ち位置を上手に天秤に測っていたのではないでしょうか。崇徳のような生き方はしまい、という信念のようなものも感じます。

清盛にとって栄華という装飾は単なる装飾に過ぎず、大きな柱を押し通したことの図太さは、一般的に感ずる日本人のアイデンティティからすると、とてつもなく無骨で大きすぎるのです。
結局、その無骨で大きすぎるものを繋いていく知恵者の存在が、彼を孤立させなかったことも確かなわけです。

時子の弟時忠、時子の妹滋子、そして平氏の養子となった元海賊の盛国。この人々の存在が平家一族を盛りたてていったわけで、平家を語るには外すことのできない人物なのです。

清盛の大器は、大きすぎるがゆえに平家一門でさえも理解し得なかったのではないであろうか。。。というのが、厳島詣で考えた私の清盛像です。

そもそも、平清盛にしても平家の血が入っているわけではないのです。平家という器を使いながら平家を利用したのは、もしかしたら清盛自身だったのかもしれません。。。勝手な所感をお許しくださいませ。

つまりこのこと自体が、諸行無常の所以かもしれない、と思うのは、私の新説?やもしれませぬが。。。

今日は、こんなところで。。。では、また明日^^。

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