五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

平清盛という人

2012年10月09日 | 第2章 五感と体感
平清盛、という人を語ろうと思っても、本当の父と母を知らない清盛の思春期の憂いの時期までは、私の身の丈で理解できるのですが、平氏の頭領となり、福原に夢を抱き、理想に向かってまい進していく清盛を想像しようとすると、私の身の丈では、想像の域を超えているように感じ、想像しにくいのです。

たぶん、とても大きな人だったのだと思います。

清盛の意志の太さによって、平氏方の周囲があたかも清盛の力そのものになったかのようになり、現実を吟味する力が徐々に削がれていったようにも思うのです。

たった20年数年の平家全盛の時代に作られた平氏のアイデンティティが、850年経った今でも語り継がれているのは、それだけ清盛の理想が大きかったからかもしれない、と、ふと、思いました。

昨年から一年以上かけて、平家物語を読み、平氏のみならず、源氏の所縁の地、奥州へと足を運んできました。

理想という意志の大きさの揺るぎなさは、指揮する側の意志の力と同じです。
統率者が意志を失えば、砂上の城のようにグズグズと消え去ってしまいます。

週末に、二泊三日の勉強会で平家物語をテーマに「生き甲斐の心理学」を学びます。

師匠との打ち合わせの中、ふと、平清盛の大きさに改めて気付き、今更ですが諸行無常の響きあり。。。という平家物語の出だしの意味が私の中で腑に落ちたのです。

ある意味、意志ある大きな存在に振り回されることは、幸せなことかもしれませんが、意志が見えないのに頭領ぶっている人に振り回されることだけは、避けたいな、と、思います。

もともと持ち備えているアイデンティティを大事にせずに海の上を彷徨っている船は、ひょっとしたら私が住んでいるこの国かもしれません。

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