五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

宮島の弥山

2012年10月16日 | 第2章 五感と体感
世界遺産となっている安芸の宮島は、京都よりも外国人の率が高いように思いました。しかも御神体の山である弥山(みせん)の山頂を目指すと、益々外国人の割合が高くなるようです。
宮島紅葉谷公園からロープウェーを乗り継ぎ、そこで瀬戸内海の絶景に感動。そして、さらに歩いて向こうの山を目指します。その向こうの山が弥山の山頂となります。

もともと宮島は古来から根付いている豪族の佐伯家の領地でした。讃岐も佐伯家の領地であり、空海は佐伯家です。パンフレットには西安から戻った空海が霊地を探し求めている時にここを修業の場とし、堂を建てたと書かれてありますが、もともとは佐伯家の祈りの場所であったのではないでしょうか。

佐伯家の厳島神社の御神体が弥山であり、空海はその御神体の山に堂を建てたと理解したほうが腑に落ちやすいです。

ロープウェーから降り、向こうの山までは、かなりの高低差を歩くことになります。ゆっくり歩くこと一時間。弥山は、大きな大きな岩が至る所にあり、緑も豊かです。山頂に近くなるほど巨大な石が重なり、不思議な光景となっていきます。
飛鳥の石舞台が自然に出来上がったと形容するのが相応しく、ストーンヘンジの天然版といっても過言ではないように思います。

誰もが感じるお墨付きの霊場と言いうことができそうです。

弥山中腹にある寺院には「消えずの火」が灯されており、空海が修行に焚いた火が1200年以上灯され続けていると言われています。
中腹の寺院からさらに登ること15分ほど。そこからの景色が、更に絶景になります。大きな石が積み重なり、それが瞑想するには相応しく、天然のお堂のような場所がいくつもあり、ここで修業せねばどこでやる。。。というくらい霊場の条件が整っています。
360度の大パノラマは、瀬戸内海を一望でき、その風景は誠に美しく、巨石の上に座り込み、暫く茫然と風景の中に溶け込みました。

山頂に佇んでいると、地上で繰り広げられる諸々が、とても小さなものに見え、自分に起こる諸々の事象に関しても何だかとても小さなことに思え、ただただ、この石の上で大きな力に包まれることに至福を感じ続けていたいという情動に駆られました。

厳島神社参拝の際は、時間に余裕を持ち、山歩きの靴を履いて詣でることをお薦めします。

結局、私はいつも空海の軌跡を辿っているような気がします。

平清盛も、大海に夢を馳せ、大陸での学びを深めた空海のありようを信じていたのかもしれません。

ならば、成程、京都の町でなぞるような生き方を選ばなかった清盛の大器は、本物だったのかもしれない、と私独断の解釈で納得したわけです。

歴史の繋がりは点と点を結ぶことで、見えないものが見えてきて、線となって繋がっていくようです。

宮島の旅は、改めて空海と対話したよき旅でもありました。

(空海と佐伯家の事に関しては、司馬遼太郎氏の「空海の風景」にて知ることができます)

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