五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分の内にある答えと固執概念

2012年10月18日 | 第2章 五感と体感
尊敬している人、信じている考え方、これだと思う哲学や理論を大切にするのはとても大事なことです。でも、一つだけを信じてしまうと、自分の現実吟味力、つまり、現実に起こっていることを自分自身で吟味すつ力が、固執したものになってしまうことは、心に留めておきたいものだ、と常々思っています。

自分が生きている時代に自分が生き抜いていく術としての「或る考え方」は、その時代が過ぎると、新たにその時代に生きる人々が吟味し考察し、いまようへと変化させていく事は、自然な成り行きであるように思います。

但し、ある概念に固執すると他のものが見えなくなります。

だいたい、自分が親から育てられた過程自体が、「固執したある概念」という世界の中で生きてきたと言っても、言い過ぎではありません。

自分から湧き出す感情や考え方は、いくら他人に諭されても、自分が正しいと思っているので、自分にとっては真実なのです。

唯一私が大切にしている心理学の理論があるのですが、それはカールロジャーズの理論です。

「命題1.個人はすべて。自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する」
「命題2.有機体(生命を持つもの全体を示しますが、有機体=個人つまり私)は、場に対して、その場が経験され知覚されるままのものに、反応する。この近くの場は、個人にとって実在(リアリティ)あのである。」

私は私です。私は自分の産んだ子供でもなく、自分を生んだ母でもありません。私以外の何者でもないのです。
その私は、私を通して、事象を経験していきます。
そこで、見たもの、感じたもの、そして、解釈したことは、私にとっての真実なのです。誰が何と言おうと、そう見えたのですから、私にとってのリアリティなのです。

私が解釈している言葉で説明すれば、こんな意味になります。

半世紀以上生きてきた私が考えていることは、私の賜物であるわけで、他者にとってそれが賜物となるわけではないのです。

我が子に対してもそうです。

西洋で生まれて心理学もまだまだ聖書や仏典から比べたら歴史の浅いものです。もともとキリスト教文化が無くては、ユングもフロイトも現れてこなかったことでしょう。

文学や美術も、その時代性の流れの中で作家の生育史から感じ考えてきたことから生み出されてきました。

そのことを踏まえたうえで、物事を学んでいかないと、たぶん、普遍性というものを見失っていくのではないかと思います。

でも、。。。
若い時は、そんな時期があっても良いのだと思うのです。その思考錯誤、そして、理想と現実のギャップから生まれてくる足掻きは、他者が救えるものではないからです。

自分の内にある答えは、自分のやり方で見つけていかないかぎり、それは自分の答えでは無いのです。

だからこそ、いつか答えが出るであろう自分を信じ、他者を信じていく必要が、答えを見つけていく上での最高であり最低の条件だと、私は考えています。

自己肯定
他者肯定

よく耳にする言葉でしょうが、簡単なようで、実はそうでないのが、生きている人間の業かもしれません。

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