五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

繋がっているもの

2012年11月22日 | 第2章 五感と体感
源氏物語の54帖の「胡蝶」「匂宮」に、広沢池や大沢池が登場します。

水面に舟を浮かべ観月を愉しむ風習は、9月に行われているようです。

源融(とおる)に由来するため、なるほど、風情、演出、華美は充分なりですが、やはり私のイメージは、池の畔をしんみりと自問自答する光源氏の姿なのです。
小説の中では、真摯に思索する光源氏の姿が描かれていますが、どうしても華美な催しを描いたもののほうが読者の印象に残りやすいかもしれません。でも、光源氏の物想いに耽る様子は、求めても求めても求めきれない理想の母が同時に意識せずともそのような行動を起こしている光源氏の行動に繋がっているようにも思います。

先日、宮島・厳島神社の弥山を登った際、空海が灯したともしびが代々受け継がれ、千年以上灯され続けている灯に手を合わせました。
不思議なご縁ですが、本日はニッポン放送で60年続いてきた「心のともしび」という番組の60周年記念ミサに与ってきます。
中学生の頃、深夜番組を付けっ放しにして寝てしまうと、早朝5時過ぎにこの番組の音楽で起されたことが度々ありました。この番組の独特な音楽と語り口は、未だ変わりません。普遍的なカタチとして心に強く印象に残っていました。
その「心のともしび」に御縁を持つことができた事自体が、私の繋げてきたもの、つまり大事にしてきたものと重なるのです。

さて、大沢池は、嵯峨天皇の大覚寺の境内にあります。嵯峨天皇は若き空海を大切にされた天皇でもあります。

「何を大切にし、繋げていくか」ということは、大切にしているものを大切にしている限り、意識せずとも、御縁となり繋がっていくものでもあるかもしれません。

自分が大切にしているものは、自分という個性に含まれているものであり、その個性の美が、繋がりを求めているとすると、一貫した個性を信じる自分自身は、自ずから慈しみ深いものであることに気付くことにも繋がるのではないでしょうか。

先週紅葉狩りをした嵯峨野の風景を想いながら…。源氏物語の場面にようやく納得しつつあります。←納得したのは三日前のブログに書いたことです。

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