カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

春を告げる花

2017-04-11 | ヤマのこと

2017.3.4(土)秩父のあずま屋山へ




前回 山へ行ったあとの一ヶ月間はほんとうに辛かった
母の大腿骨頭置換手術は成功したのだけど、その後のリハビリが進まない
足先に触れるだけで「痛い」と言う母
そんなに痛くはないはず どうやら意識の問題らしい
早くリハビリに取り掛からないと どんどん歩ける日は遠ざかる
焦っているのはまわりだけ 
一生懸命励ましたりおだてたりしてみても
本人が”立とう”とやる気を起こしてくれない限りは何もできない





入院時は病院側も「認知症があっても大丈夫ですよ」と言って優しく対処してくれていたけど、

「意思の疎通がとれません」

術後のリハビリが進まなくなった辺りから、困ってる風な対応に変わった
だから最初にことわったじゃないですか

もちろんこちらも任せきりしかできないから文句も言えない
毎日、リハビリの時間に付き添うなんて仕事辞めなきゃ無理なんだから

追い打ちをかけるように
「術後4週間目からは個室ベットに移ってもらいますので一日につき¥21,600になります」
「?」
「入院時に説明しましたよね?」
・・・聞いてないと思うけど・・・聞き漏らしたのか
どちらにしても月のベット代に70万って何?

もともとよちよち歩きしかできなかった高齢者が、
手術して1ヶ月で歩けるようになるなんて夢みたいな話だったんだね
結局出て行けってことなんだね
知識のないこちらがいけないんだよね




その頃ベット上で動けず寝たきりの母にも異変が起き始めていた
手術前は「リハビリ頑張る」って言ってたけど、
手術後は食欲もなくなり、顔つきが変わってきた
どうしてここにいるの?いつかえれるの?早く家に帰りたいよ
そればかり

ごめん
抱きかかえて動かせるなら連れて帰ってあげられるのに
私ひとりでは10センチ動かすことすら出来ない




転院先を探して右往左往する毎日
我が家の担当ケママネさんはテキパキと頼れる女性で本当にありがたい
色んな選択肢を与えてくれる
でも直接動かなければならないのは私、それはルール

ひとつのことを決めるのにも家族の同意なしでは進められない
転院先だってどこでもいい訳じゃないし 面接もある
一度の電話じゃ何も進まない
仕事の合間をぬって日に何度も電話やメール、LINEでの会話 
会社も人手不足でギリギリやってるからそうそう休めないし忙しいし
疲れた体にムチ打って会社帰りに病院に行けば、母の様子も日々変化して
辛そうなその姿を見ては一喜一憂してしまう




あぁ、今日も疲れた、なんだかもう息苦しい 身体が痛い
毎日あーでもないこーでもないって
もう誰とも話したくない
どこか一人になれるところでゆっくり眠りたい

でも  逃げ出すことはできない

生きる気力を失いかけている母を励ましたい
以前と同じように 優しい母の笑顔が見たい
ただその気持ちだけが私を動かしている
張りつめていなかったら
全部崩れてしまう気がした




何か少しでも良い方向に進めたい
必死過ぎたのか 私も精神的にちょっと鬱気味になってきて
ただ目の前の事をこなすだけで心にも余裕がなくなっていった

目途のついた転院先の返事を待つ間、急激に母の様子が悪化した
家に帰りたい、と泣くようになり
視線も泳ぐようになっていた
廃用症候群という症状のようだった

これはまずい、このままだと母が壊れちゃう、そんな不安が覆いかぶさった
転院先の返事は一週間先? それまでこの状況で耐えられる?
いや、1週間先まで待てない
一刻も早くここを出なければ


切羽詰まった私の訴えを、ケアマネさんが敏感に感じ取りすぐに動いて
就業時間が終わっていたにもかかわらず、1時間も経たないうちに折り返し電話をくれ
「ショートの受け入れ先決まりました、その先はまた考えましょう」

涙が出た





ベットの空きが1週間なので期限付きで母を病院からショートステイ先へ移動
ショートステイは通いなれたデイサービスと同系列のところなので
母の事を知ってくれている人もいて安心できる

ずっと寝たきりだった母は介護タクシーで30分の移動だけでも辛そうだったが
老人介護に特化した施設は病院と違って対応が適格
やっぱり無理言ってでも病院から出てよかったと思った




ショートステイ中に次の転院先から入所OKの返事をもらい、
ちょっと家から遠くなったけど3か月間の居場所が決まった
介護老人保健施設はリハビリもやってくれるし、理容から歯の治療まで
スタッフの方は皆明るくて親切で頼りになる
こんなに大変な仕事なのに、いつも一生懸命で頭が下がる
国はもっと介護士の待遇を上げるべきだと心から思う




術後3ヶ月 いまだに立ち上がることすら出来ないけど
施設のケアのおかげで精神的にも安定し、寝返りも打てるようになり、
眉間にしわを寄せることもなくなってきた母
面会に行けば笑顔も出るようになり、私の心もだいぶ落ち着いてきた

といってもここも3ヶ月で転院しなければいけない
同時に次の居場所探しが始まった





ここ数年、母のお世話をしながら暮らせる日々をとても幸せに感じていた日常が
一瞬で変わってしまった、戸惑いだらけの3ヶ月だった


ようやく一息ついて我に返ってみたら
これはいつか必ず訪れる
サヨウナラの準備なんだ、と気づいた


節分草と蝋梅と福寿草
貴重な花を見にきたはずなのに 花はちっとも目に留まらなくて
母と一緒に散歩していた頃に見た 道端のタンポポばかりに目がいった









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