カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

少しずつ前へ

2011-03-30 | イワテケン

今回の津波は、万里の長城と言われた宮古市・田老地区の防潮堤すらやすやすと乗り越えていった、
というのがよく報道されています。
津波が想定外の高さだったから、というのはもちろんですし、
どの港でどのくらいの高さの津波が起きたのか・・・と考えると「偶然」といったほうが良いかもしれませんが、
防潮堤のおかげで助かった村もあります。

それがダンナの実家のある村。

河北新報ニュース「東北一の水門、村守る」


お盆に帰省していた20代の頃、よく親戚の子を連れて泳ぎに行った白砂の普代浜。
今、NET上の画像で見る限り、自然が一杯だったキャンプ場と砂浜は跡形もないけれど、
その浜の入口にある、巨大なコンクリートの壁、高さ15mの防潮堤は部分的に壊れながらも残った。

東京しか知らない私には、ダンナの実家に張ってあった大きな地図も防潮堤も、
津波に関するもの、というだけで実感は全くなかったけど、村に通うようになって20年以上も経った今、
残念ながら初めてその重要さが解った。

村の津波ハザードマップNO.1(地図右下黄色のラインが防潮堤)


3/11、地震直後に消防署が遠隔操作で普代水門を閉めてくれたらしい。
実際はこの防潮堤も乗り越えて、200m先の小学校まで波が来たらしいけれど、
小学校も被害なし、勢いを最小限に食い止めてくれた事には間違いないと思う。
当時は税金の無駄遣い、と言われたらしいこの防潮堤。
だけど、こうなると何が無駄で何が無駄じゃないのか、仕分けの対象とそうでないものとは・・・
多分、今後考えなおされていくのでしょう。



【普代海岸(岩手県下閉伊郡普代村字宇留部地区)における津波対策】
・1972年(昭和47年)に着工された水門建設(高潮対策事業の中で実施)。
・当地は明治三陸(1896年(明治29年))と昭和三陸(1933年(昭和8年))の2つの大き
な地震津波で、1,200名もの人命を失った。
・昭和三陸地震津波(1933年)の被害以後、防潮林、防潮堤の整備を行った。その後、1962
年(昭和37年)三陸縦貫鉄道の開通、普代駅周辺の民家の密集、小中学校の建設等が進み、
それまでの対策では守りきれなくなった。そこで、普代川河口部に水門の建設を実施するこ
ととなった。
・計画対象津波は明治三陸地震津波(1896年(明治29年))とし、計画天端高(=津波高さ)
はT.P.+15.5mとした。総事業費35.6億円、10年の歳月をかけて建設。

(建設省河川局より引用)

岩手県下閉伊郡普代村
お勧めスポットの右端「普代浜園地海水浴場」が防潮堤のある浜でした。

ダンナの実家にいつも置いてあった「広報ふだい」の今月号

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もう一箇所、村の漁業基地、太田名部漁港。
ここにも津波が押し寄せ、村では一番被害甚大なエリア。
義母もわかめの時期になるとよく手伝いに行っていた。
地震の後、義兄が片付けの手伝いに行っている場所。

津波ハザードマップ NO.2(地図2枚目:黄色のライン)

ここの太田名部防潮堤も津波を食い止め、住民たちは無事だった。
画像上から二枚目が守った防潮堤


この左側の道路は景勝地・北山崎へ続く道、よく通っていました。
残念ながら美味しい磯ラーメンを食べさせてくれた太田名部レストハウス・食堂はもう跡形もないけれど、
住民がみな無事でよかった。


心優しい三陸のおとうさんたちは漁を続けると言う。
毎日JPニュース


ほかにもこんな記事が。
YOMIURIONLINE 宮古市:先人の石碑


全国ネットのニュースではあまり知られていないけど、被害だけでなく、助かったところもある。
そんな村もあったこと、お伝えしたいと思います。


ダンナの実家も震災から2週間後、やっとNTTが復旧しました。
NET環境は(ADSLなど)まだのようですが。
本当に少しずつですが、前に進んでいるようです。



【4/3 追記】全国ネットでもいくつか記事が出るようになりました。

★普代村の奇跡 日刊ゲンダイ3/31
★岩手県普代村は浸水被害ゼロ 日本経済新聞4/1
 



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応援しています。
漁師の徒然なるブログ
お願いタイガー・災害版



まだまだ足りない

2011-03-25 | イワテケン

震災から今日で2週間。
原発問題を除いては少しずつ落ち着きを取り戻している東京。
でも被災地はまだ何も進んでいないところがたくさんある。


TVの向こうに映る、避難所で力なく横たわるお年寄達。
物資やライフラインも行き届かない為、まともな治療も受けられず地べたに並べられている病人の列。
自らも被災者なのに一刻を争う溢れかえる病人たちに追われ、
疲労で顔色の悪い医者や看護師達。
これらは他国のことではなく、新幹線ならたったの2,3時間の場所にある日本なのだ。

画面を見て思う、あれは私だったかもしれない、私の家族だったかもしれない。
被災者かそうでないかはただの偶然。


義援金はもちろん大事、でもまだ圧倒的に物資が足りない。
幸い、東北道も一般車両が通れるようになったし、
クロネコヤマトも今日から大夫動いてくれるようになるらしい。
今までよりは良くなると思いたい。


個人でもできることがあります。
せっかくNETを使える環境にいるのならば、少しの情報も活用したい。
できる限りの支援をしたい。
2週間経っても進んでいない、何もかもが、まだまだ足りないと思うのです。


お願いタイガー
宮古市の実情





お彼岸

2011-03-19 | ヒビのこと

お彼岸です。

早速岩手の無事の知らせのお礼と、これ以上の災難がおきませんように・・・
と手を合わせたくて、私の父の眠る寺へ行ってきました。




本堂の屋根瓦が落ちたようで、修復中でした。


自分の家の墓は被害がなかったのですが、親戚の墓へ行ってビックリ。



 
地面に亀裂が入り、墓石が落ちてしまっていました。
落ちていたほうはまだご先祖様が入っていない状態なので、まだ良かったのですが。

墓地内、あちこちの墓石が落ちたり、亀裂が入っていたり。
新宿駅からたった1.2kmの場所で、意外な地震の爪痕を発見して驚きました。

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私の住んでいる地元商店街に、昔から仲良くしているお肉屋問屋さんがあります。
そこで働く30代のK君は、被害甚大な岩手県・宮古市出身です。
ご両親や親戚、友人達が宮古に住んでいます。


どうしただろうか・・・ずっと気になっていました。
先週末も店のガラス越しに彼の姿が見えましたが、答えが怖くて声を掛けられませんでした。
自分の方の安否もわからなかったので・・・

先ほどお肉を買うフリをして、店の人に聞いてみようかな・・・と行ってみたところ、
K君が私に気づき「ご家族、大丈夫でしたか?!」と。
おそるおそる・・・「こっちは全員無事だけど、そちらは?」
「家族全員無事でした。」


・・・涙が出ました。


このお肉屋問屋さんにはK君を筆頭に、同じ宮古市出身で働いている子達が3,4人います。
そのうちの一人のこの実家は流された・・・でも家族はみんな生きていた。
田野畑村出身の子は、村はほぼダメだけど、家族は無事。
ここの岩手県出身者の家族は全員無事と解りました、本当に嬉しかった。

まだ20歳そこそこの彼らは、明るく振舞って仕事をしていたけれど、心はとても苦しくて。
一刻も早く駆けつけたいけど、みんな我慢・・・。


「食料が足りなくて餓死している人もいるようです」


せっかく助かった命、なんとか助けたい。
もどかしくてたまらない。


彼らとも情報交換しながら、何か一つでも力になりたいです。





ありがとう

2011-03-17 | イワテケン

今朝、ダンナの実家の安否が確認できました。
母も兄も弟も、野田村の叔父夫婦も無事でした。
長く感じた1週間、無事を確認できただけ気持ちが一歩前進しました。
祈ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。

兄のau携帯は地震直後から全くダメでしたが、今朝、たまたま港のほうへ降りていたため、
(実家は山の中なので普段からあまり通じない)通じたようです。
ほっとしました。

実家は大きな被害もないようでした、
停電も復旧したようで、なんとか大丈夫だ、と。

ガソリンと食料は今はあるけど・・・な様子でした。


長男であるダンナの兄は村に住み、以前から消防団などで高齢化となっている村の人々の手助けをしています。
村は山の中、村の中心部・駅まで6kmの位置にあるので、移動手段は車しかありません。
急な病気や事故が起きても、大きな病院までは車で30分以上かかります。

村内で起きる悲惨な事故の時も進んで救助をしたり、普段は村の人の足となって駅まで送ったり、
介護ホームへの送り迎えをしたり、物を運んだり、おつかい頼まれたり、
自分の仕事以外に村の生活にはなくてはならない、たくさんの仕事をしています。
都会で生まれ育った軟弱な私には出来ないような行動、
「おにい(義兄)ちゃんってすごい」といつも思っていました。

今朝も被害が甚大と言われている漁港の後片付けをしているところに、
私からの電話が繋がったようでした。
ホントはもっと詳しく状況を聞きたかったけど、元気でいると解っただけで十分。
忙しそうなおにいちゃんの仕事の邪魔をしないようにすぐに切りました。


おにいちゃん、大変だけど村の人々、被災された人々の為に頑張って。
心から応援しています。


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甥っ子のその後です。

単身赴任していた甥っ子は、丸二日間何も食べるものなく、
あちこちの避難所を廻り13日、同僚の一人と出会えました。
地震から3日目の14日、車が出せたので石巻駅の会社に辿りつき、安否を知らせ、
偶然にもその直後、姉が朝からかけていた会社への電話が通じ、無事の確認が取れました。

その後、同僚と仙台支店のほうへ移動し、とりあえず会社で寝泊りできるように布団と生活物資を受け、
食べることも出来るようになりました。

情報がなかった3日間、4日目に仙台支店に着いてTVを見たとき、
あまりの酷さに愕然とし、自分が生きていたのは神様の助けだ、と思ったそうです。
休むまもなく翌日からは石巻に出向きあちこちの避難所を廻り、
お客様の安否確認等をしているそうです。


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ダンナの故郷である岩手県。私もお世話になってから20年以上たちます。
通いなれた駅や町の変わり果てた姿をネットやTVで見る度、心が痛くてなりません。
東京も毎日の余震、原発の問題と穏やかではいられない状況が続いています。
でも悲しんでいる間もなく働き続ける皆さん、寒さの中で震える被災者の皆さんのことを思えば、
何の言葉もありません。


まだ安否の解らない方もたくさんおられると思います。
一人でも多くの方の所在が、1日も早く解るよう、私も祈り続けます。


心配してくださった皆さん、祈ってくださった皆さん、ひとまず落ち着きました。
本当にありがとうございました。


cyu2



信じるだけ

2011-03-13 | ヒビのこと




<報告>


3/14(月)石巻の甥っ子の無事が確認できました。
勤め先の仙台支店と連絡が取れ、石巻市内の避難所にいると解りました。
自衛隊が入り、食事もとりあえずある、とのことでした。

ありがとうございました。

あとはダンナの実家の確認が取れれば・・・



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東北の地震の件で、ご心配頂いている方もいらっしゃるようなので、
現在の状況だけ更新します。

主人の実家の岩手県普代村は全く電話が通じない状況のまま現在(3/13 昼)も未確認です。
岩手県の防災情報をPCで見る限りでは大丈夫だと思いますが、
停電や断水が続いているようです。

石巻に単身赴任している甥っ子は、地震直後「車に乗っている」というメールの後は連絡が取れません。
その甥っ子の友人から「彼は無事だ」という情報をもらったよ、と友人の母親から連絡が入ったのが土曜日の朝。
その後の消息は全く解らないです。被害が大きい地域だけに心配です。


他の三陸地域・久慈の親戚は無事の確認が先ほど入りました。
野田村の叔父は解らないまま、花巻は大丈夫と勝手に思っています。


被災された方々は想像を超える苦しみと不安と戦っていると思います。
私はただこれ以上被害が大きくならないことを祈るだけ、
自分の親戚家族友人、同様に不安に感じていらっしゃる皆さんのご家族や友人の無事と、
地域の復興を信じています。

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関西方面からご覧頂いている方もいらっしゃるので、東京の情報も。

私の勤務先・千代田区も、ビルが倒れるかと思うほどの揺れで、何も出来ずに立ち尽くしていました。
地震の日はロッカーに入れておいたスニーカーに履き替え、2時間かけて徒歩で帰宅。
外堀通り~新宿~青梅街道近辺、歩道は人が溢れんばかりでしたが、
窓ガラスが割れたビルが一箇所あっただけで、大きな混乱なく歩いてこれました。

ダンナは帰宅困難者になり、会社で一夜を明かし、電車が走り出してから土曜の昼頃帰ってきました。


自宅はボロ屋なのですが、1階は被害なし。2階の冷蔵庫が10センチほどずれていました。
掛け時計が落ちて割れていました。その程度で済んだのが不思議なくらい?

地震後からは震度1~3程度の余震が1時間に4~5回、
もともと震度1でもキャッチする家なので、
揺れと色んな不安から良く眠れないですね。
昨夜の茨城県沖地震以降は余震の回数も減っているようなので、このまま収まってくれる事を願いつつ・・・。


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いつもこのブログを見に来ていただいている皆様、メール下さった皆様、
ご心配頂きありがとうございます。
何かまたハッキリしましたら更新しますね。

がんばろう!



cyu2





うどん求めて鍋割山

2011-03-08 | ヤマのこと

2011.3.6(日)丹沢の鍋割山へ。

1月からずっと「うどん食べたい・・うどん食べたい・・・」と思っていながら、
最近は混雑がひどく40分待ちとかのウワサで怖気付いていたのですが、
やっぱりどうしても食べたい!ヒルっちが出る前に!と行ってきました。


 
渋沢駅6:48発の始発に乗り大倉へ。もっと混んでいるかと思ったけど、
予想外にバスは全員着席程度の人でした。
日曜日もなかなかのお天気


 
今日は苦手な西山林道を歩きます・・・日曜日なのでなるべく早く帰りたいので、今日は最短コースを選びました。
でも・・・やっぱり長い・・・まだかなまだかな、と・・・



 
大倉から1時間45分(またCT計算間違えた?)、やっと「二股」水ボッカポイントに到着。
私は自分のうどん分だけの2リットル、ダンナは・・・あらあらそんなに詰めて大丈夫?



 
背中が急に重くなったので、早速汗をかきながら進みます。
後沢乗越に着くと風が通り気持ちよいです。
さあ、ここからが本番、うどんを美味しくいただく為に頑張らないとね~~~。

予想より人が少ないので、自分のペースで登れて楽しいです。


 
グングン高度を上げると、あれ?こんな木道あったっけ?
とよく見たら、設置されたのはH22年度と書いてあります、出来たばかりだったんですね。
去年の1月にはなかった



傾斜も緩み、丹沢らしい風景になってきました



富士山のアタマも見えてきたよ~


 
眺めが良くなってきました、あっちは檜洞丸かな?


 
ここまでの登山道は乾いて歩きやすかったのですが、
このあたりから霜が熔けて段々ぬかるんできました。



途中1回の休憩で、珍しく快調に歩くワタシ、苦しそうなダンナ(笑)
なぜなら今日の私はライト&ファスト
デジイチも持たず、新しく購入した軽いトレッキングシューズを履いてきたからラクチンです。

足元がなんて軽いの!KEENのTargheeは片足約420g、いつもの靴は片足1kg以上あるので半分以下!
足元が軽いとこんなに楽なのね~(でもこれに慣れてしまうとまずい気もします)



ヤッホー 富士山もくっきり見えてます。

でもここからが長いんだよね・・・偽ピークまだ越えてないし・・・



・・・と思っていたら、アレ?着いちゃった。
おかしいなぁ?偽ピーク今日はどこへ消えた?木道ができて歩きやすくなったからでしょうか?
それともさすがに感覚的に偽ピークに騙されなくなっていたのでしょうか?


「おーい!もうちょっとだよ!頑張れ~」と後から来るダンナに激を飛ばすワタクシ。
いつもと立場逆転で嬉しい



水ボッカポイントから1時間半、鍋割山到着。
時計を見たらまだ10:30でしたが、既にハラペコなので迷わず小屋内へ直行




こんにちは~ うどん下さ~い



結局ダンナは水8リットルぼっかしてきたようです(笑)



この日は5分ほどで出来上がりました、時間が早かったからかな?


 
いただきま~~~す
1年ぶりの鍋焼きうどんはやっぱり美味しい~!
天気も良く眺めも最高 の美味しい季節になりましたね。


 
sanaeさんに教わった「器は拭いて返しましょう」運動実施中。ごちそうさまでした。



山頂からは笠をかぶった富士山が。しっかり「笠」とわかる雲がかかったのを見たのは初めてでした。
翌日は雨だったし、すごいなー。


 
お昼寝でもしたいところですが、ゆっくりしていると帰りたくなくなりそうなので・・・
とか言いながら一時間もまったりしてしまいました。
小丸に向かって出発。ここの尾根は気持ちが良くて大好き。




あ、木々の間から見える丹沢主稜・・・



蛭ヶ岳~不動ノ峰~丹沢山・・・
ここを歩き始めた頃はあんなにジグザグしたところ、ワタシには無理
と思っていたけれど、歩いてみたらとても気持ちよい尾根だった、
と2ヶ月前を思い出したのでした。
蛭ヶ岳から先、いつか西丹沢まで繋がるのかな?



塔が近づくにつれ雪が増えてきました、そして所々泥沼~泥の海
NEWトレッキングシューズ危うし



金冷シからは若干良くなりましたが、この稜線は少しだけ雪がありました。



塔の岳はパスして・・・振り返っても稜線がきれいに。天気がもってくれてヨカッタ。



花立の手前で、右手にベンチがあるのを発見。
そこまで行ってみると富士山も主稜線もきれいに見える場所でした。
今日の富士山の笠雲、消えたり現れたりを繰り返していて面白かったです。



あ、チャンプ お久しぶりです。



ここから相模湾へ向かって飛んでいくような大倉尾根、何度きてもココからの眺めは気持ちいいです。
(大倉尾根好きです)



15:00、毎度楽しみな野菜無人販売でキャベツやブロッコリーをGETして、
大倉バス停に戻ってきました。


今年の冬は丹沢ばかり歩いていますが、何度歩いても飽きないかも
帰ってきても又、すぐにでも行きたくなる丹沢LOVEな1日でした。



おしまい。





今日の落語

2011-03-04 | ラクゴ

2011.3.4(金)
今日は落語好きな母のお供。



春風亭小朝さん、初めてでしたがやっぱり上手だな、と思いました。

林家たい平さん、以前見たときは・・・だったのだけど、
今回の「愛宕山」はぐいぐい引き込まれる演技力ですごく面白かった。
食わず嫌いはいけないですね





セツブンソウに会いたくて

2011-03-01 | ヤマのこと
2011.2.27(日)我が家では珍しい奥武蔵方面へ出かけてきました。

新宿を5:18に出発し、西武秩父駅着7:24。
7:35発栗尾行きのバスに乗ったのは・・・私たちだけでした。

 
(左:西武秩父駅    右:小鹿野町役場バス停)

小鹿野町役場でバスを乗り換え、目指す先は「節分草園」
この週末から3週間にわたり開催される「節分草まつり」(実際の祭りは3/6)が今日の目的です。



小鹿野町堂上にある節分草園は日本一の節分草自生地として有名だそうです。
いつか見てみたい・・・と思っていた私、sanpoさんのレポを参考にさせて頂きました。



事前に確認したところ、咲いているのかいないのか・・・微妙なところだったのですが、
色々予定があるのでこの日に決行
今回もお友達のJちゃん参加、3人で賑やかに歩きます。


 
バスを乗り継ぎ園地へ着いたのが8:45、自宅から約4時間掛けて来たのですが、
入口で係のおじちゃんが「咲いてないよ」と一言

「えええーーー?ひとつも??はるばる来たのに・・・」
「少しだけ咲いてるところがあるから案内するからついてきて」

とおじちゃんの後を着いていきました。



日当たりの良い場所に2、3輪・・・ひとつも咲いてないかもと思っていたのでそれでも嬉しかった



まさに、落ち葉の下から目覚めたばかりの妖精が・・・



初めて見る「セツブンソウ」の小さくて儚げなその姿・・・
なんてかわいらしいのでしょう はるばる来た甲斐がありました!

そして・・・そのかわいらしい姿にズームインしてみると、なんと


スマイル~~~
みんな笑ってるではないですか

実はそれを発見したのは帰りの電車の中で画像を見ていたとき。
ビックリ&かわいくてこっちまでにっこりしてしまいました。


 
段々目が慣れてくると、広い園内のあちこちにまだ蕾やら、咲き初めやらの花がたくさんあることがわかりました。
見ごろは今週末?かなぁ?一斉に咲くとあたり一面が真っ白になるそうです。


 
少ししか見れなかったけど、空いていたのでよかったかな?
なんだかんだ1時間近く見学し、目指す「四阿屋山」の登山口へ移動します。
車道を10分ほど戻ります、途中節分草園に向かう団体さんとすれ違ったりしました。
気温が高くなればもっと咲くんじゃないかな?午後のほうがもっとたくさん見れるような気がします。



9:45、「つつじ新道入口」ここから山頂を目指します。


 
スタートからすぐにふくらはぎが突っ張る登りが続きます。
植林の斜面をジグザグ進むと、竹林が見えてきて尾根に乗ったようです。



10:25、ここがウワサの鎖場ですね
一応コチラは「上級者コース」となっています。鎖場が無理な人は右へ巻いていく道あり。
上級者の意味がイマイチよく解りませんでしたが・・・



取り付きは普通の鎖場だったのですが・・・・


すぐにウワサの垂直の岩が目の前に立ちはだかりました。
ダンナに「カメラはしまって。鎖につかまり腕力で登れ」と指示がありましたが、腕力がない私。

途中の1センチほどの岩の出っ張りに左足を置いたら、次の右足が出ない
腕力でもこの重たい身体を持ち上げられず、その場にぶら下がったまま3分ほどもがいていたようですが(笑)
一旦諦め元へ戻り、Jちゃんに先にいってもらいました。


 
(左:垂直な岩     右:岩を登りきったところから下を見たところ)
先に二人がクリア。残るは私だけ。ここを上がらないと巻き道を行き、山頂で合流です。
と言っても山頂までは1時間はあるし・・・一人だけ敗北するのは悔しい・・・


 
といつもの”悔しがり”が原動力となり、2回目のトライで何とかクリア
上りきった段階で既に腕がぷるぷるになってました
登り切って振り返ると、大夫眺めが良くなっていました♪
あ~よかった、置いてきぼりにならなくて(笑)


 
その先も痩せ尾根を登っていきます。その後も鎖場が続きますが補助に遣う程度でした。



一般道との合流地点に着きました。下りはここから左に下りていきます。
垂直の岩場だけがきつかったけど、あとは変化のある楽しいコースだと思いました。
鎖好きの方には楽しいのではないでしょうか?


 
分岐から少しの鎖場通過で、11:18山頂到着。
山頂はとても狭いのですが、眺めは良いですねー。



あれが両神山かー・・・



木の芽とかぶってしまいましたが、あれが二子山・・・

人気のお山のようで続々と上がってくるので、昼食は降りてからにしよう、
と下山開始。


 
ところがこちらもなかなかの急傾斜。
おまけに北向きなので雪が残っていて(いつの?)滑ります。
続々登ってくる登山者のすれ違い待ちをしながら、慎重に降りていきました。



30分程度で「両神神社奥社」到着。



そこからはさくさく丸太階段を下り、10分ほどで「福寿草自生地」につきました。


 
11:50、ベンチに腰掛け、「武甲山」を見ながら昼食にしました。
ランチはかわみんさんオススメの”カップスター味噌味”(わたしはまだ見つけられません


 
そこからはもうポカポカ日だまりハイク。
自生の福寿草はちょっと小ぶりでかわいかった


 
「男坂」をぐんぐん降りると下から甘い香りが・・・



「蝋梅園」でした。


 
宝登山に行かなくてもここで見れたんですね、よかった
蝋梅に福寿草・・・


 
オオイヌノフグリ? そして初めて見たオレンジ色の福寿草は”秩父紅”という名前だそう。
柵の内側で遠くて上手く撮れませんでしたが、落ち着いた色合いで良いですね~


秩父紅は天候が良い日ではないと開花しない幻の花、と呼ばれるほど大変珍しい品種で、
長寿と幸福を呼ぶ花と言われているそうです。



さて満喫したのでそろそろ帰りましょう。


 
薬師の湯方面に続く車道脇には、ピンクと白の梅。
ゆるゆると里山へ降りていきます。今日は春の花一杯見れたし、
スプリング・エフェメラルのセツブンソウ、フクジュソウに会え大満足です



 
「薬師の湯バス停」に着きました。ここは道の駅もあったので野菜も買えて嬉しいー。
いつもならというところですが、この後予定があるのでバスを待つ間に足湯だけで我慢。
つるつるのお湯で気持ちいい・・・・やっぱり入りたかったかな・・・


 
予定していたより1時間早い13:34のバスに揺られ、「三峰口駅」へ。
ここは”関東の駅100選”の駅だとか。開業当時の面影を残す素朴な駅、が選定理由。
レトロな感じが素敵でした。



いつかこの駅から「雲取山」を目指したいです。
さよなら~~又来るね~~~


予想よりもしっかりした岩山だった「あずまやさん」小さい妖精「セツブンソウ」
我が家からは遠くて行きにくい秩父エリアですが、ぽかぽか陽気に恵まれ、
花も山も満喫できた楽しいコースに大満足な休日でした。


おしまい。