MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

タイム・イン・ア・ボトル

2010年02月21日 | A DAY IN THE LIFE


 土曜の夜、日曜の朝

昨夜はちょい遅い新年会。旧正月バージョンともいう。 
たらふく飲み食い、まだ食う? 焼きラーメン~広島風お好み焼きまで。

 話題はとーぜんオリンピックへ。
そこからスキー、海外旅行、ハワイ、と、脈絡などおかまいなく流れていく。

突然、いつものメンツのひとり、パー子さんが叫ぶ 「ノープロブレム  」

 それはスキーに行った時の話らしく・・・

・・・ドライバーのクレイジー・ギャリー(パー子さんの英会話の先生)、小雪舞う中、高速道路へ突入。
ウィンド・ウォッシャー液は出ず、ワイパーも不調気味・・・みるみる視界は30センチ四方に縮小!

恐怖におののくパー子さんたち女子を尻目に、ドアホなメイド・イン・USAがひとこと

「ノープロブレム」

 酔ったパー子さん、この経験がよっぽどトラウマらしく、
スキー、ハワイ、空港、ギャリーとバッタリ遭遇、と話しがつながった瞬間、

「ええぇうっ ギャリー キャーッ ノープロブレム 
と、絶叫したのでした。

 知らねーって、いきなりノープロブレムって。 前後をおもっきしハショるもんなぁ^^
「おまえがプロブレムだろっ」 という私のツッコミがややウける^^

・・・・・・そんな悪夢のような一夜が明けると、健康診断が待っていた。
血液検査、尿検査、血圧。 すべての数値が引っかかりそうだ。 焼きラーメンのおかげで^^

 とりあえず無事帰ると、おばあさんがお出かけらしい。
地元のデパートでやっている“北海道物産展”へ、お友達と行くんだと。

80歳を超えたふたり。 オーケー、ここは運転手しましょ。 お送りいたしましょう。
待ち合わせの場所まではクルマでほんの5分ほどだ。

にもかかわらず、我が家を約束の時間より10分も早く出る^^(年寄りはせっかちなのだ)
にもかかわらず、待ち合わせの場所には、腰のちょっと曲がった小柄なおばあさんの姿が・・・お互いさまだ^^

ウチのおばあさんは、クルマが止まらないうちからドアを開けようとする。 少女か
あちらのおばあさんは、こちらが恐縮するぐらい何度も頭を下げる。

「こんにちは。 いつもお世話になっております。
 今日はお休みのところをすみませんねぇ ありがとうございます。」

ほら、品のいいこと。

デパートの前で降ろす。
バックミラーに、いたわりあいながら歩道との段差をあがるふたりの姿が映る。
ちょい目頭が熱くなり、鼻の奥がツーンとする。

どーもいかん。 
この涙腺の弱々しさは病気か^^


ヘイ ジュード

2010年02月21日 | 木曜日のボール


  オシムの伝言

ほんの2年前まで、代表の試合にはこのふたりがいたんだなぁ・・・
大きな大きなオシムさんと、ちっちゃくてちょびヒゲ、メガネの通訳さんが。

 その元日本代表通訳、千田善(ちだ・ぜん)氏が明かす、
 オシム来日から闘病、そして離日まで、923日間に及ぶ迫真の舞台裏。

最近、とみに涙腺の弱々しいワタクシ。 情けなかねぇ
これは壮絶な闘病記でもあり、もうだめです。 この本には涙腺ズタズタにされます。

脳梗塞からのリハビリ中、「ヘイ ジュード」に聴き入る場面あたりから、雲行きはあやしくなり
天皇杯を勝ったガンバ勢との交流から、巻誠一郎の結婚披露宴に至るあたりで、
ついに私の涙のダム、決壊です。 ほぼ全壊、滂沱滂沱であります。 

 「ヘイ・ジュードは最高だな。 誰の歌? ビートルズ? それは知っている。
   歌っているのは・・・ポール・マッカートニー。 そうだ、そうだ、そうだった。」

オシムは1941年生まれだから、レノン・マッカートニーと同世代。
「ヘイ・ジュード」がヒットしていた'68年、27歳のオシムはユーゴスラビア代表のエースとして、
ヨーロッパ選手権に出場し、準決勝でイングランドと対戦している。

 試合開始直後の5分、ひどいファールにより足首を負傷。 歩けないほどの大怪我にもかかわらず、
ベンチに下がらず、痛み止めの注射を打ちながら、試合終了まで片足でピッチに立ちつづける。
 
 ※ 当時は選手交替が認められていなかったという事情もある。

試合はジャイッチの1発で、ユーゴスラビアが勝つ!

決勝の相手はイタリア。 オシムはケガがひどく出場できなかった。
ローマでの試合は1-1で引き分け。  2日後の再試合でユーゴスラビアは0-2で敗れた。

「もしシュワーボ(オシムの愛称)が、決勝でプレーしていたら・・・」 と、今でも語りぐさになっている。

オシムは大会のベストイレブンに選ばれ、ローマ法王とも面会している。
「ヘイ・ジュード」は、そういう思い出がある曲だそうだ。

リハビリルームに流れてきた40年前と同じ歌声。
大けがから必死で立ち直ろうとしていた現役時代を、今の自分に重ね合わせていたのだろうか。
 ※ 本文より

 
 天皇杯で決勝ゴールをあげた播戸とのやりとり・・・

「オシムさん、ほんまに帰ってしまうんか? 
 な、オレにも何か言うてください。 今後のためにアドバイスを」

「次もまた、その重たそうなトロフィーが持てるように、それで筋トレでもしなさい」

選手への愛情があふれる。 
オレは相変わらず涙があふれる^^

つくづく、返す返す、オシムの代表が見たかった。 残念でならない。
もちろん本人がいちばん残念なのは言うまでもない・・・

「代表監督としてやり残したことがあるのは残念だ。
 ・・・日本らしいサッカー、独自路線で進もうと思っていた。

 自分で地図を書いても時々道に迷うものだが、
 その点、迷うことなく順調に進んでいた。
 ある程度頼りにできる、まとまりのあるチームが作れていた。

 選手には続けて進歩してほしい。自分や自分のチームに自信を持ってほしい・・・」


今のままでいいのか? 代表! 
オシムさんに恥ずかしくないか・・・


 「オシムの伝言」  千田 善  みすず書房