MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

私は全力を尽くす

2020年05月15日 | 木曜日のボール

1993年5月15日

27年前の今日、Jリーグは開幕した。
スモークの中からこいつが膨らみながら現れた・・・風船だから
その名も、Jリーグキング!
第一印象は、何これ? カッコわるっ だった。



以後の消息を、まっ     たく知らなんだ。
会場でも、あらゆるメディアでも、見たことがなかった。
・・・現役でした^^
Jリーグで検索すると、こいつが大フューチャーされてました。そりゃキングだもの。
えーと、せめて「こいつ」呼ばわりはやめるか。
んでも、Jリーグキングって名前、今知ったし^^ 27年目のハーフタイムか!
小瀬にも来てたのかなぁ、マジ気がつかんかったわ。


サイドチェンジして、ここからは真剣に。

難局でかじ取りを任せられた村井 満チェアマンの思いを聞こう。
ワタシは途中で目頭が熱くなった。
なので、全文を書いておこう。


★5月15日を迎える。

川淵三郎さんの国立競技場での姿が思い浮かぶ。
プロリーグができた喜び、地域密着を掲げて社会に与えたインパクトを思い起こし、
当時から成長しているかと振り返る日だ。
試合がない今、現在地や進む方向を確認するコンパスが目の前にない。
途方に暮れながらも、どうしたらお客様の前で再開できるか考え続けている。


★クラブ経営が心配されるが・・・

私は1つもつぶさせないという覚悟だ。
ただ、地域の人々や行政、企業の支えがなければ存続はおぼつかない。
逆説的だが、そういう皆さまと向き合うクラブは必ずや生き残る。
クラブは地域を支える存在となり、支えていただくに足る価値があると確信する。


★地域に根差し、貢献することを目指してきた。存在感を示す時では?

手を使わずにプレーするサッカーはミスがつきもの。
味方のゴールに蹴りこんでしまうことさえある。
誰も望まず予想もしない困難に直面しても、選手は折れた心を立て直しプレーする。
クラブや選手は多様なメッセージを発信し、Jリーグにできることを模索している。
それは借り物ではない。
東日本大震災ではサポーターの間で支援の輪が広がった。
サッカーの本質を見ている人たちは、
困難な時ほど結束して立ち上がろうと呼び掛ける言葉と魂を持っている。


★これからのJリーグが約束するものは

お客様の前でサッカーができる日常は奇跡的にありがたいことだった。
試合から遠ざかり、
もうスタジアムに戻らない方もいるのでは、という強烈な恐怖心がある。
サッカーより生活を優先しなければならない方もいるだろう。
そんな状況で足を運んでくれる一人一人を、Jリーグは忘れない。
恩返しのために全力のプレーを約束する。
これは再開前に全選手に伝えたい。
その日まで、私は全力を尽くす。


その日まで、私は全力を尽くす・・・

Jリーグのトップがこの人でよかった。
ともに乗り切ろう、スタジアムに行く日まで。