MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

金曜の夜 土曜の午後

2011年10月03日 | A DAY IN THE LIFE

親友と21年ぶりに邂逅す

会うのは3回目だ。
メキシコ、イタリア、そして甲府の駅前で。

1986年メキシコワールドカップと、1990年イタリアワールドカップを
共に観戦した鹿児島の“太猿”だ。
「太猿」の名前どおり、フットサルの大会で甲府にやって来たのだ。

太猿は、ローマのシャネルに入店を拒否された過去を持つ。
きっちゃねーTシャツ姿が、ドアマンの逆鱗にふれたのだ^^

テルミニ駅で、5枚ほどの絵葉書を選ぶのに1時間を要し、
店員のオバちゃんの逆鱗にもふれた。

敗れた直後のベルギーサポに、「シーフォは最高だ」と言って、逆鱗にふれた。

ゲームをしている若者たちの中に入っていき、
「とりあえず自己紹介しましょう」と言って、完璧なシカトーをくらったりもした。

あちこちで逆鱗にふれ、シカトされ、地雷を踏むのだが、
不思議と、わたしの逆鱗にはふれたことがない。せっかちなボクなのに。
まあ、あきれることは多々あったけど^^

それどころか、ぼったくり店の前で躊躇していたわたしを、
後ろから「ノー!」のひとことで、救出してくれたのも彼だった。 グラッチェ!

“後ろの声は神の声”の、語源にもなっているエピソードだ。 ウソつけ! 

そんな太猿と、わたしの自慢は(このブログには何回も出てくるが・・・)
“マラドーナの5人抜き”と“神の手ゴール”を、アステカで生で観たことだ。

甲府駅前の「小作」で飲みながら (う~~ん、なんてベタなチョイス)
お互いに共通する唯一の自慢を語り合う、いい年こいたおっさんふたり・・・・・・。

そうそう、86年当時は、あのマラドーナの、あの伝説のゴールさえも、
周囲からは、なにそれ?」 みたいな反応しか返ってこなかったものだ。

それがあれから4半世紀、21世紀ともなると、
「えーーっ! あれ観たんですか!?会場で? マジすかっ!!」
と、周囲の反応も一転してたりする。 ワハハハ 自慢じゃ自慢じゃ・・・・・・

・・・・・・自分で成したわけでもなんでもないから、実はちょっとむなしいが^^


20年間で3回しか会わなくても、親友は親友だ。

そういえば、20年間に2回しか会ってない親友も、静岡と山形にいる。

諏訪のブラジルねーちゃんや、ゴンドラに一緒に乗った岡山の才女、
博多の知っとーと娘、浜松のウナギ屋、神戸の歯ぎしり男、熊本のキヨハラ公、

徳島の会長、横浜のスイカでナンパ野郎、長野の出てないのに日の丸掲揚小僧、
二人だけの世界にひたるバカップル、イタリアのキッズにイギータと呼ばれたアフロ男、

マジメで上手かった杉ちゃん、アホのとーやま。

絶対ピアノBarでぼったくられたであろう歴戦の猛者連。
添乗員のあの娘と、太猿がファンだった彼女と・・・・・・あのコバヤシ(もう定年?)


想い出は尽きないが、お別れの時間だ。

ヴァンフォーレの新作マフラーをプレゼントし(う~~ん、なんて安上がり)
固い握手をして、鹿児島での再会を誓い合ったおっさんふたりでした、とさ。

※ 右側の写真が、イタリア’90 オランダ対西ドイツ戦前
  サンシーロ(ジュゼッペ・メアッツァ)のスタンドでたそがれている太猿の勇姿。

  頭に乗っけているのが、フリット帽だ^^ 
  腰のタオルが、シャネル入店拒否事件の真相を雄弁に物語っている。

  左の写真 イタリアの小僧たちと写っている半パンが、20年前のわたし。
  どんなシチュエーションでの1枚かは、まっ   たく記憶にない。

※※ 数々の暴言、笑って許されよ m(_ _)m
   
   特に“アホのとーやま”は、当然真性のアホではなく、真性の好漢です。
   西ドイツのGK、シューマッハーの試合前の練習を、熱心にメモしてたっけ。
   
   元気で、みんな元気で。


シルクのタッチ

2011年10月01日 | 木曜日のボール

ヴァンフォーレ、ホームで敗れる。 (甲府 0-1 川崎)

う~~~ん、マイク 1発は決めようね
そこまではいってるんだから。

にしても、ジュニーニョが効いていた。
動きの質と量。クオリティ高いさぁ。

だから憲剛、持つと必ずジュニーニョを見るもの。
ふたりでかなり出来ちゃうのが、うらやましくも素晴らしい。

そしてなにより、ため息を誘うのがファーストタッチだ。
美しいファーストタッチは、サッカーの最高部類の見所だ。

ファーストタッチひとつで、感嘆のため息と、落胆のため息が錯綜する。
感嘆させてくれたのがジュニともうひとり、わが甲府のパウリーニョだった。

ブラジル人ふたりのファーストタッチと比べると、
日本人選手のファーストタッチは・・・・・・拙い、ゆるい、あまい。ぎこちない。
シルクと木綿の違いだ。(業種によっては木綿がいい場合もあるぜ!)

スっと止まるだけでなく、次の動き出しに直結しているし、
なおかつ、寄せてくる相手の予想を裏切る位置にボールを置ける。
早いはなし、おしゃれなのよ。

しかも、ふたりとも両チームでもっともマークがキツいにもかかわらず。
やるなぁ ジュニ&パウ



で、スタンドで落胆のため息をつかせてくれたのが・・・・・・

わたしのとなりで、独演会をしていた先輩・後輩コンビ。
お題は、「甲府サポの嘆き」ってとこだ。

先輩の方が、通路にじかに座って、きいたふうなクチをきく。
それを後輩が、前の席から半身になって後ろを振り返り、相槌をうつ。

先輩が後輩に解説する体(てい)で、実はまわりにも聞かせたいらしく、
先輩の声はデカいし、すでにしゃがれ気味だ。

じゃまくさっ

それにしては先輩、甲府の選手の名前を言わないのさ。
「13番のひと」とか、「ここは20番より14番のほうが」とか、全員背番号で呼ぶのだ。

知ってるのに言わない感じ?
なおじゃまくさっ

名人芸は、後輩の方だ。
ゲームを見つつ、先輩の方を振り向き感心しつつ、携帯もイジると^^

後頭部にケリ入れたろか? 木綿のタッチで。


しっかりなさい

2011年10月01日 | A DAY IN THE LIFE

そうか、永 六輔はパーキンソン病を患っていたのか。

わたしはもうてっきり年のせいだとばかり思い込んでいました。
不明を恥じるのみです。

モハメド・アリと同じ病です。

そして同じように病をさらして生きています。
隠したり、こもったりせず堂々と。

思い込みのみで、簡単に人を判断してはいけないぞと、身に染みています。
まるっきり正反対の評価になってしまう恐ろしさよ。