親友と21年ぶりに邂逅す
会うのは3回目だ。
メキシコ、イタリア、そして甲府の駅前で。
1986年メキシコワールドカップと、1990年イタリアワールドカップを
共に観戦した鹿児島の“太猿”だ。
「太猿」の名前どおり、フットサルの大会で甲府にやって来たのだ。
太猿は、ローマのシャネルに入店を拒否された過去を持つ。
きっちゃねーTシャツ姿が、ドアマンの逆鱗にふれたのだ^^
テルミニ駅で、5枚ほどの絵葉書を選ぶのに1時間を要し、
店員のオバちゃんの逆鱗にもふれた。
敗れた直後のベルギーサポに、「シーフォは最高だ」と言って、逆鱗にふれた。
ゲームをしている若者たちの中に入っていき、
「とりあえず自己紹介しましょう」と言って、完璧なシカトーをくらったりもした。
あちこちで逆鱗にふれ、シカトされ、地雷を踏むのだが、
不思議と、わたしの逆鱗にはふれたことがない。せっかちなボクなのに。
まあ、あきれることは多々あったけど^^
それどころか、ぼったくり店の前で躊躇していたわたしを、
後ろから「ノー!」のひとことで、救出してくれたのも彼だった。 グラッチェ!
“後ろの声は神の声”の、語源にもなっているエピソードだ。 ウソつけ!
そんな太猿と、わたしの自慢は(このブログには何回も出てくるが・・・)
“マラドーナの5人抜き”と“神の手ゴール”を、アステカで生で観たことだ。
甲府駅前の「小作」で飲みながら (う~~ん、なんてベタなチョイス)
お互いに共通する唯一の自慢を語り合う、いい年こいたおっさんふたり・・・・・・。
そうそう、86年当時は、あのマラドーナの、あの伝説のゴールさえも、
周囲からは、「なにそれ?」 みたいな反応しか返ってこなかったものだ。
それがあれから4半世紀、21世紀ともなると、
「えーーっ! あれ観たんですか!?会場で? マジすかっ!!」
と、周囲の反応も一転してたりする。 ワハハハ 自慢じゃ自慢じゃ・・・・・・
・・・・・・自分で成したわけでもなんでもないから、実はちょっとむなしいが^^
20年間で3回しか会わなくても、親友は親友だ。
そういえば、20年間に2回しか会ってない親友も、静岡と山形にいる。
諏訪のブラジルねーちゃんや、ゴンドラに一緒に乗った岡山の才女、
博多の知っとーと娘、浜松のウナギ屋、神戸の歯ぎしり男、熊本のキヨハラ公、
徳島の会長、横浜のスイカでナンパ野郎、長野の出てないのに日の丸掲揚小僧、
二人だけの世界にひたるバカップル、イタリアのキッズにイギータと呼ばれたアフロ男、
マジメで上手かった杉ちゃん、アホのとーやま。
絶対ピアノBarでぼったくられたであろう歴戦の猛者連。
添乗員のあの娘と、太猿がファンだった彼女と・・・・・・あのコバヤシ(もう定年?)
想い出は尽きないが、お別れの時間だ。
ヴァンフォーレの新作マフラーをプレゼントし(う~~ん、なんて安上がり)
固い握手をして、鹿児島での再会を誓い合ったおっさんふたりでした、とさ。
※ 右側の写真が、イタリア’90 オランダ対西ドイツ戦前
サンシーロ(ジュゼッペ・メアッツァ)のスタンドでたそがれている太猿の勇姿。
頭に乗っけているのが、フリット帽だ^^
腰のタオルが、シャネル入店拒否事件の真相を雄弁に物語っている。
左の写真 イタリアの小僧たちと写っている半パンが、20年前のわたし。
どんなシチュエーションでの1枚かは、まっ たく記憶にない。
※※ 数々の暴言、笑って許されよ m(_ _)m
特に“アホのとーやま”は、当然真性のアホではなく、真性の好漢です。
西ドイツのGK、シューマッハーの試合前の練習を、熱心にメモしてたっけ。
元気で、みんな元気で。