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ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

教室での講義からオンライン講義へ逆戻り 京都だけの話ではなくなるでしょう。

2021年04月17日 19時00分00秒 | 受験・学校

 本題に入る前に。今日(2021年4月17日)の午前中、仕事の関係で丸ノ内線の新車2000系に乗っていて、車内の画面広告を見て驚きました。東京オリンピックの公式ショップで売られているグッズの広告だったのです。初めて見ました。東京メトロでも半蔵門線の車両(8000系、08系)や東急の車両では見たことがなかったのです。そればかりか、2020年の秋にも何度か丸ノ内線に乗りましたが、オリンピックグッズの広告など流れていなかったのです。驚きばかりで内容を覚えていませんが、思い出作りに云々というようなフレーズが並べられているのを見て、冗談なのかと思いました。

 さて、本題に入ります。Yahoo! Japan Newsで見つけた記事で、京都新聞社が今日の15時付で「オンライン授業に逆戻り『大学生活どうなっていくの?』学生ら不安の声」というものがありました(https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/549372)。

 今月、近畿地方でCOVID-19の感染が拡大しています。そのため、2021年度から原則として教室で講義を行うこととしていた大学が方針の転換を行わざるをえなくなった、ということです。上記京都新聞社記事によると、立命館大学は「19日から当面の間」、原則としてオンライン講義に変更することとなりました。また、京都産業大学は「27日から実験や実習などを除き可能な限りオンラインに切り替える」、龍谷大学は「26日から一部授業をオンラインにする」、京都大学や京都工芸繊維大学は検討するとのことです。

 よく、オンライン講義ばかりでは友人ができない、という趣旨の学生の声が聞かれます。これに対しては「やり方の問題だ」という意見もあるようですが、できにくいことは認められるでしょう。講義だけでなく、サークル活動なども規制されることになるので、大学生としての生活を送りにくくなることは否めません。

 しかし、ここで少し立ち止まります。オンライン講義へ逆戻りなのは京都だけの話なのか、と。近いうちに首都圏なども同じようになるであろう、とも予想できます。

 大阪府では、5日連続で新規感染者が1000人を超える状況になっており、医療崩壊に近い状態となっています。第2回の緊急事態宣言から早く脱したのは誤りであったのでしょう。少なくとも大阪府などには第3回の緊急事態宣言が発せられてもおかしくありません。

 そして、近畿地方も関東地方も本州にありますから、当然陸続きです。近畿地方で感染が拡大しているのに、他の地方で拡大しないとは言えないでしょう。2020年の経験からしても、これから夏にかけて感染者が増えることは十分に予想できます。第1回の緊急事態宣言では要請に応える形で多くの大規模小売店舗が休業し、街の人通りが大幅に減少しましたし、2020年3月から小学校、中学校、高校、大学のほとんどが休みとなりました。これで感染者数が減少したことは認められます。経済活動も冷え込みましたが、目先の利益に囚われるよりはよいことです。しかし、政権が変わってから、これと言った策が立てられているようには思えません。勝負の3週間などという勇ましい言葉だけが飛び交うだけで、第2回の緊急事態宣言は見事な失敗に終わりました。第1回と異なり、一律10万円の給付金もなかったのですから、我々庶民としては自粛している訳にはいかない、富裕層とは違うのだ、ということです。それに、政府はGoToや東京オリンピックに熱心で、COVID-19対策に熱心なのかどうかは疑問がよせられるところでしょう。

 私は首都圏の大学で仕事をしていますので、少しばかり記しておきますと、本務校(大東文化大学)では原則として教室での講義です(オンライン講義の併用もできます)。正門以外の門から入ることはできず、検温を受けて消毒液を手に撒かなければなりませんが、2020年度よりは規制が緩んでいます。教卓の前にアクリル板が設置されているはずだと思っていたら、何故かなかったのです。他の大学でも教室での講義が増えており、原則となっているようですが、私が非常勤講師(兼任講師)として担当する講義のいくつかはオンライン講義です。また、検温、消毒液などは、大学によって違いがあります。

 東京都はもとより、神奈川県などでも新規感染者が増えていない訳ではありません。今後の状況によっては、オンライン講義への逆戻りは京都だけの話ではなくなるでしょう。私は、逆戻りの可能性は高いと考えています。ゴールデンウィークが一つの契機になるでしょうか。昨年の第1回緊急事態宣言の時よりも厳しい措置を採ることができるようにしなければ、たとえば、諸外国では当たり前のように行われているロックダウンを行わなければ、新規感染者や再感染者は減らず、多くの都道府県で医療崩壊が起こるでしょう。勿論、東京オリンピックなどとんでもありません。できるはずがないのです。

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2006年3月16日、都電荒川線に乗って(その2)

2021年04月17日 00時00分00秒 | まち歩き

 今回は「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の第163回として2006年4月7日から18日まで掲載した「都電荒川線に乗って(その2)」の再掲載です。今から15年前の話ですので、その点には何卒御注意を。

 

 不案内な三ノ輪駅を出て、北に歩きます。すぐに常磐線のガードが見えます。このガードを抜け、信号があるので道路を横断すると、三ノ輪橋電停への入口があります。ただ、これも意外なくらいに目立たず、わかりにくいというのが本当のところです。

 上を見ればわかるということですが、表通りから少し引っ込んだ所です。上はビルになっていて、この中を通り抜けます。奥に電停があります。シャッターが閉まっているのは気になります。果たして、このあたりの商店街の状況はどうなのでしょうか。時間があまりなかったので、ゆっくりとは歩いていません。

 ようやく三ノ輪橋電停にたどり着きました。ここから、町屋、王子、大塚、雑司が谷を通って早稲田へ出られる訳です。もっとも、私は新庚申塚で降りました(そこで降りないと、都営三田線に乗り換えられないため)。昨年、早稲田大学法職課程教室で講義を担当した時には、新庚申塚から早稲田まで荒川線に乗っていました。小学生時代に王子駅前から大塚駅前まで乗ったことがあるのですが、川崎市に住んでいて荒川区に行く用事などほとんどない人間にとって、三ノ輪橋、町屋、尾久は未知の場所でした。

 三ノ輪橋電停を正面に見て、次に右を見ますと、三ノ輪橋商店街のアーケードがあります。真上に都電のレリーフがあります。前照灯が運転席の下に一つだけあることから一球さんというニックネームがあった6000型を基にしたのでしょう。

 下を見ると、こんな商店街でした。曲がりくねっているのが気になります。アーケードといえば、私の地元にもありますし、日本最初のアーケード街であると言われる武蔵小山も、幼少時から今に至るまで私がなじんでいる所ですが、こんなに曲がりくねっていません。何となく、再開発前の溝の口駅西口商店街を思い出しましたが、規模は三ノ輪橋商店街のほうが大きいでしょうか。

 ちょうど、早稲田行の電車が来ました。釣り掛け駆動という、昔の電車の音ですので、すぐにわかります。正面に、昔の都電の車両を紹介するようなレリーフが飾られています。

 ここは、最初から東京都の路線だったのではなく、元は王子電気軌道という私鉄の路線でした。戦時中、東京市に買収され、都制施行(東京府と東京市が合併)によって東京都交通局の路線になりました。昭和38年から、都電の路線は次々に廃止されましたが、専用軌道(道路の上を走らない軌道)が多かった荒川線は残りました。たしか、黒字路線であったと記憶しています。しかし、東京都交通局も明らかにしているように、乗客数は漸減傾向にあります。

レリーフは、下から上に見ると歴史を簡単にたどれます。写真では切れていますが、時計があります。

ここから新庚申塚に向けて乗ることとします。果たしてどのような町並みを通ることやら。

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