2012年2月27日、東西線の南砂町駅を初めて利用しました。その際、駅の近くにある公園に寄ってみたら、かつて東西線を走っていた5000系の5800形5833号の一部が保存されていました。
その後、公園が閉鎖され、5833号も撤去されたという話を聞きました。そこで、以前、「待合室」の第477回として2012年5月8日に掲載した写真を、ここに載せておきます。
5800形は西船橋側の先頭車両(制御車)でした。公園では、運転台が東側を向いていました。次の写真の案内板にも書かれていますが、5833号は1968年に日本車輌で製造され、2001年3月まで東西線(および中央本線の中野~三鷹、総武本線の西船橋~津田沼、東葉高速鉄道線の全線)を走りました。廃車となり、2002年から公園で保存されていました。なお、車体の一部がカットされています。
公園に置かれていた説明板です。
おそらく、5833号の台車に取り付けられていた車軸+車輪でしょう。
遠くからでもわかるのですが、車体はかなり荒れています。運転台の窓の真上に、帝都高速度交通営団時代のSマークが付けられています。東京メトロとなった現在であればMマークが付けられるところですが、やはりこの車両にはSマークが似合っています。
方向幕は「葛西」になっています。実際にこのような列車があったかどうか、私にはわかりません。大学院生時代の5年間、九段下~早稲田を利用していたので、当然、5000系にも乗っているのですが。
5000系にはセミステンレス車体とアルミ製車体の二種類があり、5833号など多くはセミステンレス車体でした。これは、車体の骨組みを普通鋼で製造し、外板のみをステンレスとした車体です。営団では日比谷線用の3000系が最初のセミステンレス車体で、5000系は第二弾となります。しかし、千代田線用の6000系以降、営団の車両は全てアルミ製車体となりますので、セミステンレス車体は5000系が最後です(オールステンレス車はありません)。ちなみに、日本最初のステンレス車体を採用した東急5200系もセミステンレス車体でした。オールステンレス車体は東急7000系(初代)が日本最初の例となります。
中に入ってみました。ガラスの透明度がかなり失われています。
南砂町駅は江東区にあります。そのためか、江東区による説明パネルが設けられていました。このパネルは保存されていないかもしれません。ただ、江東区が発行する『江東区のあゆみ』に書かれている内容であるため、参照はいつでも可能でしょう。
公園という施設のためなのか、座席はいかにも公園のベンチのように、板に張り替えられていました。カットされているため、西側には壁も仕切りもありません。これでは傷みも早いのではないかと思うのですが、車体の長さが20メートルですから、完全な形で静態保存するのは難しかったかもしれません。
なお、5000系は、2007年に東西線の営業運転から離脱しましたが、アルミ製車体の車両の一部が現在も千代田線の綾瀬~北綾瀬で運用されています。しかし、近々05系に置き換えられるようで、完全に姿を消すのも時間の問題となっています。
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