〔今回は、「待合室」の第437回として、2011年8月21日から同月27日まで掲載したものです。写真撮影日である2011年4月7日当時の様子をお伝えしたく、文章に修正の手を加えておりません。〕
池上線の旗の台駅を降り、歩いています。乗換駅ではありますが、商店街の規模はそれほど大きくありません。品川区の商店街といえば、大井町、戸越銀座、中延、武蔵小山というところでしょう。これらの街に比べると、旗の台の知名度は劣ります。しかし、小さいながらも味のある商店街であるともいえます。
池上線の改札口のそばにある踏切から、中原街道のほうへ向かいます。奥に見える昭和大学病院に向かう通りが商店街となっていて、御覧のように人通りは少なくありません。品川区という場所柄のためか、下町に似た雰囲気が漂います。これは、戸越銀座駅周辺、戸越公園駅周辺、武蔵小山駅周辺にも共通しています(大井町駅周辺はかなり違っていますが)。
脇に入ってみます。商店街の続きではありますが、路地裏というにはぴったりの所です。道路の脇に鉢植えが置かれているのは、いかにも東京周辺らしい風景です。下町に多そうな風景なのでしょうが、川崎市などでも見られます。そして、道路に置かれた自転車の数の多さも、東京の城南地区や川崎市では当たり前の光景なのです。
踏切から荏原中延方面を見ます。荏原中延駅が地下にあるので、池上線はしばらく走ると地下へ入ります。現在では痕跡も残っていないようなのでよくわからないのですが、この先に旗ヶ岡という駅がありました。旗ヶ岡駅が開業していた時代、旗の台駅は存在していなかったのです。
ここで旗の台駅の歴史を取り上げておきましょう。この駅の開業は1951(昭和26)年5月1日です。池上線の桐ヶ谷(廃駅。大崎広小路と戸越銀座との間にあった)~雪ヶ谷(後に調布大塚と統合して雪が谷大塚となる)が開業したのが1927(昭和2年)8月28日、大井町線の大井町~大岡山が開業したのが同年の7月6日です。つまり、およそ24年間、池上線と大井町線は交差していたのにもかかわらず、その交差地点に駅がなかったのでした。現在であれば西武多摩湖線の八坂駅(すぐそばを西武国分寺線が通りますが、駅はありません)のような感じでしょうか。
現在の目黒線、東急多摩川線および大井町線を開業させた目黒蒲田電鉄と池上電気鉄道の敵対関係については既に述べました。両者の対立は、現在も駅名によく残されています。たとえば、目黒線に洗足駅があり、池上線に洗足池駅があり、大井町線に北千束駅があります。北千束駅は、もともと池月という名前であり、1928(昭和3)年に開業しました。東北地方にも池月という駅があるため、1930(昭和5)年に改称しますが、その名前が洗足公園といい、明らかに池上電気鉄道の洗足池駅を念頭に置いていたのです。現在の北千束に改称されたのは1936(昭和11)年1月1日です。
また、大井町線に中延駅および荏原町駅があり、池上線に荏原中延駅があります。これらも目黒蒲田電鉄と池上電気鉄道の対立と関係があるのでしょう。
さて、目黒蒲田電鉄は、1934(昭和9)年10月1日に池上電気鉄道を吸収合併します。沿線に洗足、田園調布という分譲地→高級住宅地を有し、系列として東京横浜電鉄、すなわち現在の東横線を抱え、五島慶太の指揮下で発展を続ける目黒蒲田電鉄に対し、住宅地開発に積極的でなく、迷走を続け、都市間連絡などを考えてもいなかった池上電気鉄道が勝利を収めることができなかったのは、おそらく当時の目からも明らかであったことでしょう。両鉄道が統合されたことにより、大井町線と池上線とが交差する地点に駅ができるのが自然でした。しかし、なかなかできず、1951年に持ち越されてしまいました。
池上線には旗ヶ岡駅がありました。一方、大井町線の荏原町と北千束との間には東洗足という駅がありました。東洗足駅は、これも現在では痕跡が残っていないようなのですが、中原街道の東側にあったようで、現在の旗の台駅からは170メートルほど離れていたとのことです。
旗の台駅の開業が第二次世界大戦後までずれ込んだ理由は、結局よくわからないままなのですが、池上線の旗ヶ岡駅と大井町線の東洗足駅をそれぞれ移転し、統合して開業しました。長い間、この駅には定期券売り場もありましたが、現在はありません。もっとも、東急線の場合は自動券売機で通勤定期券などの購入ができるので、定期券売り場がなくともあまり不自由がありません。
池上線の旗の台駅から東側、大井町線の荏原町駅に向かうような形で、商店街が伸びています。人通りが少ないのですが、飲み屋などが多いので、夕方以降は話が違ってくるのかもしれません。小規模な商店が並びます。この駅の周辺には大規模な店舗がありません。東急ストアがあってもおかしくないのですが、何故かありません。パチンコ屋の看板が昔ながらのものという感じがします。
奥に大井町線の高架が見えます。旗の台を出発すると、上り電車は坂を下り、荏原町駅に着きます。わずか500メートルしか離れていません。旗の台駅の開業が遅れたのは、この駅間距離にあるのかもしれないと考えているのですが、大井町線、池上線のいずれも駅間距離の短い路線ですから、荏原町駅との距離が近いことが原因ではないのでしょう。尾山台駅と等々力駅との間も500メートルしか離れていません。大井町線で駅間距離が1キロメートル以上であるのは、緑が丘駅と自由が丘駅との間(1キロメートル)、上野毛駅と二子玉川駅との間(1.2キロメートル)だけです。
旗の台駅の南側から荏原町駅のほうまで伸びる商店街に出ました。ここも人通りの少ない商店街です。池上線も大井町線も、バスターミナルがあるという駅が少なく、近くにバスが通っていないような駅もあります。旗の台もその一つで、駅の周囲にはバス停がありません。
けだるい午後のひと時という感じのする街並みです。商店街ではあるのですが、普通の住宅なども多い所です。大型店舗などもあまり見当たらない街ですが、夜はどうなのでしょうか。そこそこ、飲み屋などはあるようです。
池上線の踏切に来ました。奥のほうにトンネルが見えます。長原駅です。環状7号線との立体交差のため、1968(昭和43)年に地下化されました。その前年に目蒲線(現在の目黒線と東急多摩川線)の洗足駅が地下化されていますが、どちらも、この後に盛んになる立体交差化(地下化)の先駆例となっています。
なお、旗の台駅は品川区にありますが、長原駅は大田区にあります。池上線の長原~蒲田が大田区、五反田~旗の台が品川区、ということになります。また、大井町線は、大井町~旗の台が品川区、北千束と大岡山が大田区、緑が丘と自由が丘が目黒区、九品仏~二子玉川が世田谷区、二子新地~溝の口が川崎市高津区です。
この踏切を渡ると、大井町線の側の改札口があります。さらに歩くと中原街道です。
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