ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

武蔵嵐山(2006年10月22日撮影)

2015年10月05日 01時33分42秒 | まち歩き

 大東文化大学法学部に勤務するようになってから11年半が経過しました。

 講義期間中の毎週木曜日、私は、埼玉県は東松山市へ行きます。午前中に2つある講義のためです。現在は東急田園都市線→東京メトロ副都心線→東武東上線という経路を使います。

 もっとも、神奈川県は川崎市に生まれ育った私にとって、埼玉県はまだまだ慣れない場所です。時折、共通センター試験の監督業務などのために、前日に東松山市へ向かう際には、車で、東松山市はもとより、鶴ヶ島市や坂戸市、毛呂山町などを走ることがあるのですが、ゆっくり走り回ったりするのはこの時くらいです。通常の講義の日には、夕方に板橋校舎で演習(年によっては講義)を行うため、歩き回ったりする時間がないのです。

 そのような訳で、東武東上線の東松山駅より先へ行ったことは一度しかありません(終点の寄居駅まで乗りました)。ただ、途中に印象的な場所がありました。武蔵嵐山という駅があるのです。京都であれば「あらしやま」ですが、埼玉県では「むさしらんざん」です。池袋からであれば、東武東上線の快速、急行、TJライナーで向かうことができます。何時までであったか忘れましたが、私が埼玉県の嵐山へ行った頃には、土曜日および休日に特急電車が走っていました。

 2006年10月22日、私は、初めて埼玉県比企郡嵐山町の嵐山を訪れました。この日、私は、東松山市きらめき市民大学へ、当時の愛車である5代目ゴルフGLiを運転して行きました。場所の関係で、電車で行くと大変なことになるからです。そのまま帰るのも面白くないので、武蔵嵐山まで走ってみようと思ったのです。

 京都の嵐山に似ているからという理由で、このあたりを嵐山というのだそうですが、たしかに似ているような気もします。

 武蔵嵐山駅から国道254号線に出て、県道玉川熊谷線で玉川村のほうへ走りますと、都幾川にかかる槻川橋を渡ります。その周辺がキャンプ場になっています。嵐山渓谷はさらに奥のほうにありますが、ここは渓谷の入口、と理解すればよいでしょうか。午後、河原でバーベキューをやっている人が多いので、それならここで河原でも見ていこうと考えた訳です。バーベキューの用意はしていませんし、既に東松山市内で昼食を済ませていました。

こうして河原を歩くのは、大東文化大学に移ってから2度め、およそ1年ぶりのことです。大分時代には、時折、大分市内の河原内に行きましたが、その時のことを少しばかり思い出しました。

 この奥に、本当の渓谷があります。ただ、このあたりの場合、何箇所かに駐車場はありますが、それなりの料金を取られます(但し、駐車場代としてではなく、環境美化のための費用として。もっとも、1時間何円ではなく、17時まで何円という料金なのですが)。歩けばそれなりの時間を取られます。都内か川崎市内で買い物などもしなければならず、あまり余裕はなかったのでした。

 よく考えると、ここは、大東文化大学東松山校舎からそれほど離れていない場所にあります。事実、武蔵嵐山駅周辺は、嵐山町の東端というべき場所にあり、少し走れば東松山市に入るのです(東武東上線の森林公園駅およびつきのわ駅は滑川町にあります)。しかし、埼玉県にはあまり縁がない私は、当時、まだ森林公園にも行ったことがなかったのです。ついでに記しておくならば、東上線の沿線で埼玉県で街をじっくりと歩いたことがあるのは小江戸川越くらいで、それも小学生時代に1回、高校時代に1回、結婚してから1回です。また、東武伊勢崎線に転ずれば浅草~草加しか利用したことがないので、越谷、春日部に行ったことがありません(勿論、東武動物公園にも入ったことがありません)。さらに記すならば、JR高崎線に乗ったことがないので、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷にも行ったことがありません。

 そもそも、大東文化大学に移るまではJRの上野駅を利用したことすらなかったし(地下鉄で行っていたため)、池袋には2回か3回だけしか行ったことがなかったのです(新宿か高田馬場で止まっていました)。


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