以前、ホームページの「待合室」に掲載した写真を、ここに再び載せます。今回はその第1弾です。
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もう何年も前から、豊橋に行ってみたいと思っていました。「もう一度この目で見たい」というものがあるからです。
しかし、その機会はなかなか訪れなかったのです。「毎年のように九州へ行っている男が、何を言うか?」と言われることでしょう。豊橋は、たしかに東京からであれば、九州よりもはるかに近いのですが、新幹線の「のぞみ」も「ひかり」も停車しないので、本数は限られますし、時間もかかります。それで、行く機会を見つけることができなかったのでした。
今年、ゴールデンウィークの後半に名古屋へ行きました。これまで通過したことなら何度もあるのですが、名古屋駅を降りたのも初めてならば、名古屋市を歩いたのも初めてです。そして、名古屋市営地下鉄と名古屋鉄道を乗り継ぎ、豊橋駅で降りました。これまた、名古屋市営地下鉄を利用したのも初めてならば、名鉄を利用したのも初めて、豊橋駅を利用したのも初めてでした。日本の大手私鉄で、名鉄のみ、全く利用したことがなかったのです。
JR東海と名古屋鉄道が共用する豊橋駅の隣に、豊橋鉄道の新豊橋駅があります。ここから、渥美半島の中程にある田原市の三河田原駅まで、渥美線が通っています。その渥美線で使用されているのが、上の写真に登場する1800系です。これこそ、私が「もう一度この目で見たい」と思っていたものです。見た瞬間に懐かしさを覚えたのでした。「く」の字のような形をした前面の形状は、まさしくダイヤモンドカットと言われた東急7200系です。ここ豊橋では1800系として走っています。
元々は東急田園都市線用の車両として、1967(昭和42)年に登場しました。初代7000系に次ぐオールステンレスカーとして51両が、アルミ試作車(デハ7200およびクハ7500)として2両が製造され、目蒲線、東横線でも運用され、末期は目蒲線と池上線で使用されました。豊橋鉄道に譲渡されたのは2000(平成12)年、目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分割された年です。
写真の車両はク2806で、東急時代はクハ7505だったとのことです。パークベルクリニックの広告電車となっていました。このようになったのは最近のことです。
豊橋鉄道は名鉄系列の会社です。以前にも東急からの移籍車が運用されたことがありますが、東急7200系が豊橋鉄道に移って1800系となるまでは、名鉄7300系が運用されていました。名鉄の支線用として登場した特急用車両で、7000系や7500系とは外観が異なるものの、同じパノラマカーの一員で、7700系とよく似ていました。1997年まで名鉄で運用され、同年に豊橋鉄道に譲渡され、渥美線で運用されました。同線では初の冷房車でもあります。
しかし、7300系は2扉車である上に吊り掛け駆動で、加速度が低いこともあり、ラッシュ時などに遅延が発生しやすくなりました。この頃、渥美線ではダイヤ改正を行い、昼間でも12分間隔にまで増やしたそうですが、7300系ではダイヤ通りの運行ができず、結局はダイヤを以前のものに戻してしまいました。2扉では、出入り口が少なくなる訳ですからラッシュ時の乗降に時間がかかります。私は、JR武蔵野線の快速「むさしの」号で経験済みです。何故か特急用の183系車両を使っていたのです(何故にこんな馬鹿な車両の使い方をしたのか、理解できません)。渥美線でも同じようなことが生じたのでしょう。また、吊り掛け駆動では加速度が低いので、渥美線のような路線でスピードアップを図るのは相当に困難でしょう。
結局、7300系は3年ほどで東急7200系に置き換えられることとなりました。1800系となったのは、18メートル車であるため、とのことです。
(2014年8月28日、動画を追加。)
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