ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

二子二丁目公園

2014年11月10日 22時26分22秒 | まち歩き

 (今回は、2011年3月24日から29日まで「待合室」第409回として掲載した記事です。なお、一部を修正しています。)

 私が生まれ育った高津区の高津地区(溝口、二子など。橘出張所の管轄地域でない町丁または大字のことです)は、意外にも近現代の芸術の発展に浅からぬ関係があります。以下、都合上、敬称略とさせていただきますが、陶芸家の濱田庄司は溝口で生まれました(母の実家があったそうです)。また、数々の童謡を残し、かなりの数の歌がNHKの「みんなのうた」で放送されたという意味で大きな存在であった作詞家の小黒恵子は諏訪3丁目にある小黒恵子童謡記念館の館長を務めていました(この記念館が川崎市に寄贈されたことが、最近報じられました)。この他、国木田独歩などもあげることができます。そして、今回は、まさに日本の芸術界に大きな足跡を残した人物と関係のある所を取り上げます。

 2010年5月4日、妻と二子玉川まで歩いて行きました。旧大山街道を通った訳ですが、「まさか、こんなに変わるとは」と思いました。

 旧大山街道を歩き、高津図書館前を通り過ぎて少し経つと、溝口4丁目から二子1丁目と2丁目に入ります。西側が二子1丁目、東側が二子2丁目です。2丁目の側に小さな公園があります。

 私は小学生時代から二子を自転車で走ったりしていました。ここには病院がありました。しかし、いつの間にかなくなっていました。大学院生時代にはあったはずです。1997年4月から2004年3月まで大分市に住み、大東文化大学に移ってから6年間は東急目黒線を通勤路線として使うようになったこともあり、二子を通らなくなっていました。

 この二子二丁目公園に、御覧のような案内板があります。これが答えになっていました。ここに大貫病院があったのです。個人病院でしたが、建物などは比較的大きかったことを覚えています。上の写真には「大貫家は岡本かの子の生家。」という文が見えます。地元では有名な話です。

 公園の後にはマンションが建っています。最近建てられたものでしょう。田園都市線で言えば二子新地駅と高津駅の間となるこの辺りも、高層建築物が増えています。

 大貫病院には一度だけ入ったことがありますが、どのくらいの大きさであったか、具体的にはわかりません。道路に面して大木が何本かあった記憶もあります。久しぶりに旧大山街道を歩き、二子1丁目と2丁目の変化の大きさには驚かされました。

 二子には、川崎市の、いや、日本の近現代芸術史の一歩が刻まれています。大貫家は岡本かの子の生家ですから、世界的な芸術家である岡本太郎とも深い関係があります。起源の一つがこの二子なのです。

 しかし、岡本かの子の生家も、現在はここにありません。歴史は全てを残して進むとは限りません。或る物は残り、別の物は形を変え、また別の物は消滅する。誰かが記録しなければ、結局は何も残らないまま、歴史は進むのでしょう。


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