濱田橋に着きました。ここからしばらく、二ヶ領用水に沿って歩きます。
橋の手前側が三丁目、向こう側が二丁目です。旧大山街道より東側では、三丁目と二丁目とでは雰囲気が大きく変わりますが、この辺りではそれほどの違いを感じません。
溝口は、大まかに記せば田園都市線の東側にして二ヶ領用水の南側(JR武蔵溝ノ口駅、ノクティなど)が一丁目、田園都市線の西側にして二ヶ領用水の南側(東急溝の口駅、西口商店街、溝口神社など)が二丁目、二ヶ領用水の北側にして国道409号の南側が三丁目、というように覚えておけばよいのですが、住居表示が施行されたのは意外に遅く、1997年9月1日に一丁目の一部が、同年11月25日に一丁目から六丁目の大部分が施行されました。それまでは「▲丁目」という表現が用いられていなかったのです。
もっとも、「▲丁目」となっているからといって、住居表示が施行されているとは限りません。高津区梶ヶ谷には一丁目から六丁目までありますが、未施行です。同様の例を少しだけあげるならば、中原区小杉町、同区新丸子東などがあります。東京では千代田区神田神保町という例もあります。
高津区で住居表示が最も早く施行されたのは新作(アクセントに注意! 最初の「し」のみを高く発音します)で、1986年11月3日に施行されました。区内では唯一、昭和の時代に施行されています。下野毛(1990年2月26日)、坂戸(1991年11月25日)、久本(1992年11月24日)が続きます。
歩道の幅が広くとられており、歩きやすい道路です。時間帯によっては、ここを散策したりする人も多くなります。
徒歩や自転車であれば何の問題もないのですが、エンジン付の車両となると面倒になります。二ヶ領用水に沿う道路は、区間によっては車両通行止ですし、そうでなければ一方通行と考えておくのが無難です(幅が狭いためです)。しかも、区間によって方向が変わり、用水をはさんで左側通行になったり右側通行になったりします。全区間を歩いたり走ったりした訳ではないのでよくわからないところもありますが、私は小学生の頃にこの溝口から中原区小杉御殿町、今井上町の辺りまで自転車で走ったりしていましたから、道路標識を見ては「随分と面倒な道路だな」と思っていたことを覚えています。
所々に、道路から用水に降りられるように小さな階段が設けられています。いつ頃からあるのか、尋ねてみたいものです。1980年代の途中まで、二ヶ領用水はどぶ川と化しており、とても階段を降りて水の中に入ってみようなどと思えなかったのでした。今では浄化され、鯉などの魚が棲んでいる箇所もあります。
歩いているうちに西浦橋のそばに来ました。溝口神社やJR武蔵溝ノ口駅などへ向かう際に通る橋ですが、今回は渡りません。国道409号方面に向かうこととします。
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