ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

懐かしの東急8000系(渋谷駅、多摩川駅)

2013年11月23日 10時23分53秒 | 写真

 (今回の内容は「待合室」に掲載したものですが、経緯が複雑です。2006年6月26日、別室8として掲載→2007年6月23日、一部修正および補充の上で再掲載→2009年3月15日、一部修正および補充→2010年10月17日、別室7へ移行→2010年11月10日掲載終了。なお、このブログに掲載するにあたり、一部を修正しています。)

 今回は、私が長い間馴染んできて、ついになくなってしまったものを取り上げます。

 私は、小学校入学前から、何かというと渋谷へ行きました。たとえば、両親の買い物のために、東急百貨店(東横店、本店)や東急プラザ、西武百貨店などに行きました。最初の音楽の勉強の場も渋谷でした。それから、一体何度、東横線渋谷駅を利用したのでしょうか。しかも、2004年からは、講義期間中の毎週一回、仕事のために渋谷へ行っています。学部生時代、院生時代、そして大分大学在職中には、田園都市線で渋谷へ行くことが多かったのですが、それ以前は東横線で渋谷に出ていましたし、結婚するまでは通勤経路の関係で東横線を使っていました。

 その東横線渋谷駅が、2013年3月に地下駅となりました。開業以来の高架駅は廃止され、現在、解体工事が進められています。今後の発展のためには仕方がないのでしょうが、やはりさびしいものです。そこで、今回は、まず2005年に撮影した写真を掲載します。この年に、東横線と副都心線との相互直通運転のために渋谷駅が地下化することはわかっていました。

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 2005年7月22日に撮影した、4番線に停車中の8000系です。日本で(少なくとも本格的なものとして)最初にワンハンドルマスコンを採用したのがこの8000系です。他にも様々な新機軸を性能面に出したもので、ローレル賞を逃したのが今でも理解できない、というほど、現在までに大きな影響を与えた名車です。東横線の主力であり続けただけでなく、田園都市線や大井町線でも活躍しました。

 私の場合、東急だけは、少なくとも1975年以降に運転されていた全形式(事業用車などの特殊なものを除く)に乗っています。鉄道線であれば、旧3000系(デハ3450形やクハ3850形など)、旧5000系、5200系、6000系、7000系(改造車の7700系も)、7200系(改造車の7600系も)、8000系、8500系、8090系、8590系、9000系、1000系、2000系、3000系、新5000系、5050系、5080系  です。軌道線であれば、玉川線と砧線が廃止され、世田谷線のみが残った時からのデハ70形、デハ80形、デハ150形、そして1999年に登場し、2001年にグローリア賞を受賞した300系です。

 そのうち、8000系と8500系が、一番利用の機会が多かった形式です。8000系は、長いこと東横線の各駅停車のみに使われていて、1980年代の一時期に急行で使われたことがある程度でしたが、特急運転が開始されてからはどの種類にも使われていました。

 8000系が最初に登場したのは昭和44年ですので、既に40年近く活躍してきたことになります。そして、ここ数年、廃車され始めています(一部は伊豆急行に転出していますし、さらにはインドネシアにも輸出されています)。この8039Fは、登場時から1980年代の中頃まで続いた無塗装無帯の姿に復元されたものです。また、方向表示機もLEDから幕に戻されました(但し、正面のみ)。東急8000系、7000系、7200系の赤帯には最後までなじめなかったので、うれしい復元です。

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 同じ8000系ですが、こちらは1990年代に内装などを改造したもので、赤帯の他、正面に黒帯が入り(帯はいずれもシールです。塗装ではありません)、隈取りに似ていることから歌舞伎色というあだ名もついています。最初に見た時は驚きましたが、慣れるとそれなりに格好良く見えたりするものです。方向表示はLED式になっています。

 8000系は、幼少時から知っていて、何度乗ったかわからないくらい乗りました。しかし、あと何年、東急線でこの車両を見られるかわかりませんので、撮影したのでした。田園都市線と大井町線を走っている8500系も、一部が廃車されたり、長野電鉄、秩父鉄道に譲渡されたりしています。

 渋谷駅の屋根のデザインは昔からのものです。東口、国道246号線と明治通りの交差点にかかる歩道橋から見ると、渋谷駅のデザインがよくわかりました。

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 1枚目の8039Fの写真が、渋谷駅の照明などのためなのか、暗くなっていますので、明るく写ったものもここに掲げておきましょう。但し、撮影地は渋谷ではなく、東横線多摩川駅で、撮影日は2006年6月5日です。8039Fは、2007年6月30日と7月1日に「リバイバル急行8000系号」として走った後、引退しました。

 2008年1月1日、東京急行電鉄のホームページを見ると、「東横線8000系引退記念イベント第2弾『8000系さよなら運転』~39年間活躍した8000系が東横線から引退します~」という記事(http://www.tokyu.co.jp/railway/railway/mid/oshirase/071228_1_8000-Lastrun.html)が掲載されていました。この記事によると、1月13日、東横線での8000系最終運転として、臨時特急が何往復か走行すると書かれていました。

 8000系は、1969(昭和44)年、東急では初めての20メートル車として東横線にデビューし、長きにわたって同線の主力として運用されました。外見は非常に地味で、長らく各駅停車専用でしたが、時には急行としても用いられました。そして、特急が走るようになってからは特急、通勤特急、急行、各駅停車とオールマイティに活躍してきました。また、大井町線でも一時期は主力として活躍しましたし、田園都市線でも運用されていた時期があります。

 外見とは裏腹に、日本で初めて、界磁チョッパ制御、そしてワンハンドル・マスコンを採用するなど、技術などの面に関してはまさしく名車中の名車として位置づけられます(そうかと思うと、空クーラー車という、クーラーキセのみ屋根に載せていながら実は冷房車でないという車両もありましたが)。とくに、ワンハンドル・マスコンは、阪急、京成、京浜急行、東武、西鉄、東京メトロ、都営地下鉄、そしてJRなど、様々に改良なり変更なりを加えつつ普及しました。その元祖が東急8000系です。どうして8000系がブルーリボン賞やローレル賞を受けることができなかったのか、いまだに理解できません(名鉄モ600形がローレル賞を受賞していますが、後の鉄道車両への影響力では比較になりません。しかも、モ600型の活動期間はあまり長くありません)。この時の鉄道友の会には、よほど見る目がなかったのでしょうか。結局、ただの人気投票に近かったのでしょう。近鉄、名鉄、阪急、阪神、京浜急行などのファンは多くとも、東急のファンはあまり多くありませんから(もっとも、阪神の車両でブルーリボン賞やローレル賞を受けたものはないのですが)。

 原稿作成の仕事のため、1月13日の最終運転を見に行くことができなかったのですが、私自身も幼少のころから親しんできただけに、寂しいという思いがあります(寝台特急が廃止される度に騒がれますが、私は「当然である。むしろ、少なくとも10年は遅すぎた」と思うのです)。まだまだ十分に活躍できるような気もしますが、仕方のないことなのでしょう。

 翌日、神奈川新聞と産経新聞の記事を読みました。8017Fが使用されていたようです。

 ここで記しておきますと、東急8000系の場合、上り側の制御車であるクハ8000形の奇数番号車で編成を表現するというのが慣習になっています。また、下り側の先頭車はクハ8000形の偶数号車です。

 1月14日から、8000系は大井町線の5両編成8001Fのみとなりましたが、活躍は長く続かず、2月20日をもって、ついに8001Fも最終の営業運転となりました。1月13日の東横線最終運転と異なり、東急もほとんど宣伝しておらず、記念電車も運行されなかったのですが、どこかから情報を得ていました(その情報源を思い出すことができません)。2月20日が土曜日か休日であれば、二子玉川駅、尾山台駅、自由が丘駅のいずれかにでも行っていたことでしょう。しかし、この日は水曜日で、大学院法学研究科の春季入試、法律学専攻協議会、法学研究科委員会が行われることとなっていました。法律学専攻主任の役職に就いている者として、欠席する訳にもいきません。しかも朝早くに大学にいなければなりません。そこで、大学からの帰途、途中の大岡山で下車し、8001Fを撮影することとしました。

 大岡山で目黒線の電車を降りました。程なく、運よく、8001Fが大岡山駅3番線に到着しました。大井町行です(この頃、大井町線には急行が走っていません)。カバンの中には、私が愛用していたデジタルカメラ、SONY Cyber ShotのDSC-L1もDSC-P5も入っていなかったのですが、携帯電話を持っていましたから、下り側の制御車、クハ8002を撮影してみました。撮影者の腕とカメラの性能とがあいまって、あまりきれいな写真ではないのですが、まさに東急線では最後の8000系を捉えることができました。あと何十分かすれば、この編成に乗ることもできましたが、用事があったために乗っていません。下の2枚が、当日撮影したものです。

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 東急8000系の一部は、東急の系列である伊豆急行、およびインドネシアで見ることができます。5代目ゴルフを買ったばかりの2005年6月に伊東駅の近くで8000系を見ました。東急の赤色ではなく、水色の帯を巻いています。

 また、東急8000系というのは、本来ならば広く捉えるべきものであるようで、8000系の他、8500系、8090系、8590系を含みます。

 このうち、8500系は、長らく田園都市線の主力として活躍したローレル賞受賞車で、初期の編成はほとんどが引退し、一部が他社、さらに外国へ譲渡されていますが、現在も10両編成が田園都市線で、5両編成4本が大井町線で活躍しています。10両編成は東京メトロ半蔵門線に乗り入れますし、さらに8606Fと8642Fを除く全編成が東武伊勢崎線の久喜、または日光線の南栗橋まで乗り入れます。東横線で活躍した時期も長かったので、御記憶の方も多いでしょう。

 8090系は、日本最初の軽量ステンレスカーで、当初は東横線急行用として使用されましたが、後に5両編成化されて大井町線の主力となりました。しかし、東横線と東京メトロ副都心線との相互直通運転開始のために9000系が5両編成化されて大井町線に移ったため、いわば玉突きの形で運用から外され、ついに今年(2013年)の5月、東急線から引退しました。一部が秩父鉄道に譲渡されています。

 また、8590系は、横浜高速鉄道みなとみらい線乗り入れ用として東横線用として登場し、急行として活躍しましたが、9000系と同じ理由により、9000系よりも早く大井町線に移りました。また、一部の編成が10両編成となって田園都市線で運用されています(途中、中断時期があります)。大井町線の5両編成は今年の5月か6月に運用から外され、一部が富山地方鉄道に譲渡されました。現在残っているのは田園都市線の8694Fと8695Fで、機器の関係などにより、東武線には乗り入れません。

 地味ながら飽きの来ないデザイン、最初は突飛に思われてもすぐに馴染んでしまうデザインは、東急の伝統といってよいでしょう。デビューしたばかりの8090系を中学生時代に見て、最初は格好悪いと思っていたのですが、すぐに馴染んでしまいました。8000系、7600系、7700系に施された歌舞伎色についても同様です。JRや他の私鉄のような「わざとらしさ」などがないからでしょう。8000系と交代するように大井町線の急行用として登場した新6000系、池上線および多摩川線で活躍する新7000系も、大胆なデザインですがすぐに馴染んでしまいます。勿論、私は新6000系、新7000系の全形式に乗っています。


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