ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

数年後に引退する静岡鉄道1000系を撮影した(その1)

2015年04月14日 19時00分22秒 | 写真

先月某日、静岡市に寄る機会がありました。この時に乗じて静岡鉄道の静岡清水線を利用し、1000系を楽しんできました。

 JR静岡駅から北の方へ歩くと、静岡鉄道の新静岡駅があります。道案内が今ひとつで、近くなるとかえってわかりにくくなりますが、東急ハンズなどが入居する新静岡セノバの1階に駅があります。付近にSHIZUOKA 109や静岡パルコがあり、渋谷の一部が移転してきたかのような印象も受けます。JR静岡駅にもハンズ・ビーがありますし、東京でもおなじみの店が多いようです。

 静岡清水線ではPASMOも利用できます。それを使って自動改札機を通ると、ちょうど新静岡セノバの広告車となっているクモハ1008+クハ1508の2両編成が到着しました。

 オリジナルの1000系は無塗装のステンレス車ですから銀色なのですが、現在はほとんどの編成がラッピングなどを施されています。 

 

 1000系は1973年に登場した車両で、1980年代まで、東急車輌で製造されました。東急7200系を基本とした設計で、正面こそ非貫通で印象が異なりますが、側面は7200系とほぼ同じと評してよいでしょう。もとより、東急と静鉄とでは走行条件などが異なりますから、細部には違いがあります。また、1000系は、1969年に登場した東急8000系と同じくワンハンドルマスコンを採用しています。 

 側面の表示器です。静岡清水線では1975年からワンマン運転が行われているため、「ワンマン」の表示が見られます。また、同線では1958年から1996年まで急行の運転が行われており、2011年10月から平日の上り(新清水→新静岡)では朝6時台から8時台まで通勤急行が、平日の下り(新静岡→新清水)では同時間帯に急行が運転されるため、側面で「急行」の表示も行われます。

クモハ1000形1008号(新静岡側)の車番プレートです。 東急の初代7000系以来、2代3000系まで続いた、あの見慣れた車番プレートと全く同じ形です。

 こちらはクハ1500形1508号(新清水側)の車番プレートです。1000系はクモハ1000形+クハ1500形の2両編成で、12本が在籍しています。

 静岡鉄道1000系が東急7200系と基本設計を同じくしていることの理由は、1970年代に東急車輌製造しかオールステンレスカーの製造技術を有していなかったことなどがあげられますが、もう一つ、静岡鉄道の筆頭株主が東京急行電鉄であることと無関係ではないかもしれません。

 1941年、当時の静岡電気鉄道は東京横浜電鉄の傘下に入り、1943年に藤相鉄道や中遠鉄道などと合併して静岡鉄道となりますが、その初代会長が東京急行電鉄の五島慶太でした。静岡鉄道が東急グループの一員であった時代は短く、1947年まででした。しかし、筆頭株主の地位は変わっていません(静岡銀行、静鉄従業員持株会、日本生命保険の順に続きます)。

 クハ1500形の正面です。写真では窓の右側に手すりのような金具が付けられていますが、ここにはバックミラーが取り付けられていました。ワンマン運転が始められたことによるものです。現在は撤去されていますが、何時のことかはわかりません。

 1973年に登場して以来、最も古い編成では42年も動いている1000系ですが、そろそろ新車が出るようです。昨年(2014年)12月10日付の10時付で、朝日新聞社が「静岡鉄道、全車両を新型車両へ 16年から順次登場」として報じていました(http://www.asahi.com/articles/ASGCX6R9ZGCXUTPB01D.html?iref=reca)。この記事によると、2016年度から新車を投入し、2023年度までに1000系を置き換えるようです。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 春の多摩川、兵庫島 その4 | トップ | 法学部の学生は、世界史(と... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

写真」カテゴリの最新記事