今回は、「待合室」に第325回として2009年8月8日から17日まで掲載した記事の再掲載です。内容は、一部を修正しましたが、基本的に当時のままですので、御注意ください。
しばらく間が空きました。
唐津市を歩いています。もう二ノ門堀を過ぎました。唐津城址を目指して歩き続けます。
唐津城址を見上げる場所に、佐賀県立唐津東高校があります。その高校の校庭付近から天守閣を撮影してみました。
この道を真直ぐ進むと、東唐津に出ます。途中に橋があります。松浦川の河口なので、すぐそばは唐津湾です。ちなみに、筑肥線の東唐津駅は、福岡市営地下鉄との相互乗り入れ開始に伴う電化および経路変更の前には唐津市東唐津4丁目にありました。
2008(平成20)年は唐津城築城400周年でした。そのことを示す案内があちらこちらにありました。上にデザインされている六つの絵は、勿論、唐津城主となった大名たちの家紋です。どの 家紋が何家のものなのか、私にはよくわからないのが残念です。ちなみに、私の家系の家紋は上のどれでもないことだけはわかっています(上列中央の家紋が近いと言えなくもないのですが 、藤の向きが逆です)。
いよいよ、唐津城址の入口です。やはり築城400年の案内板が立てられています。或る意味で良い時に来たものです。そう言えば、私は1999年8月に鹿児島市を訪れたのですが、その時もザビエル上陸450周年ということで、県立美術館などで特別展示が行われていました。
唐津城の略歴が書かれた案内板です。この唐津から西のほう、半島の西側に名護屋城がありましたが、その解体資材を用いたというのは本当なのでしょうか。 また、歴代の譜代の家系が入場していたということですから、唐津藩は幕府にとって重要な場所であったということなのでしょう。ここには書かれていませんが、一時期には水野忠邦が藩主であったこともあります。
この案内板中に「藩主の住居は高校敷地となっています」と書かれていますが、それが先ほど通った唐津東高校です。
天守閣に行くために、この階段を登ります。それほど急でもなく、 比較的登りやすいといえます。私が入ったのはもう夕方と言ってもよい時刻でしたので、それほど人は多くなかったのですが、これから天守閣に向かうという人も何人かいました。逆に、この階段を下りていく人をあまり見かけていません。
階段を登り終えました。天守閣です。但し、これは再建されたものです。1966(昭和41)年に完成したといいますから、私が生まれる2年前のことです。
天守閣の入口の前まで来ました。これから天守閣に入ります。すぐそばが唐津湾なので、海の景色が楽しみでもあります。
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