ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

錦川鉄道錦川清流線の存廃論議

2023年09月09日 07時00分00秒 | 社会・経済

 昨日(2023年9月8日)になって、山口県の錦川鉄道について存廃論議があることを知りました。

 錦川鉄道は、旧国鉄岩日線を引き受けて錦川清流線として運行する第三セクターです。もうお気付きであるかと思いますが、岩日線は、1980年代の国鉄改革において第2次特定地方交通線と位置づけられて廃止すべしとされた路線です。そればかりか、1960年代の赤字83線にも名を連ねていましたから、長らくの間、鉄道路線であることの意味が問われ続けてきた路線であることになります。

 元々、岩日線は、大正時代の鉄道敷設法別表第96号において「山口県岩国ヨリ島根県日原二至ル鉄道」(漢字は現在の表記に改めています)として掲げられていたもので、実際には1960年に岩徳線の駅である川西駅から分岐(より厳密には森ヶ原信号場で分岐)して河山駅までが先行開業し、1963年に錦町駅まで延長されました。錦町駅から日原駅(JR西日本山口線)までは岩市来他線として工事が続けられていましたが、結局は開業できないままに終わりました。最初から旅客輸送の面で期待されていなかったようで、このことは赤字83線の一つとしてあげられたことからもわかりますし、途中の御庄駅(現在の清流新岩国駅)のすぐそばに山陽新幹線の新岩国駅が開業したにもかかわらず、御庄駅と新岩国駅とは全く別個の駅とされた上に接続も何もされなかったことからも明らかです(この点については、有名な宮脇俊三『時刻表2万キロ』においても取り上げられています)。

 何故に岩日線が建設予定線として法律にも明記されたのか、その理由はよくわかりません。山口線と接続することで陰陽連絡線の役割を担わせようとしたのかもしれませんが、国会図書館に保管されている資料を読んでみなければならないでしょう(但し、デジタルアーカイブで少しばかり他の路線について読んだ限りでは、あまり詳しい説明はなされていないので、岩日線についても同様ではないかと思われます)。もっとも、仮に日原駅までの全線開業が実現したところで、赤字線であることには変わりがなかったようにも思われます。

 岩日線改め錦川清流線は岩国市内のみで運行されていることから、岩国市は2024年度末までに検討を重ね、岩国市長が最終的に判断を下すこととされています。早速、存続運動がスタートしましたが、果たしてどれだけの意味があるのでしょうか。

 よく、乗って残そう、1人が(1か月間に、あるいは1年に?)1回でも多く鉄道を利用して残そう、というようなスローガンが叫ばれ、実践されています。しかし、実際に存続する割合は高くありません。高校生の通学利用が主であり、通勤利用はあまりありませんし、そもそも住民があまり利用しないから鉄道が廃止されるような事態になる訳です。存続運動に関わる人々は、一度、岩国市の公務員である沿線住民(など)が錦川清流線をどの程度利用しているのか調べるほうがよいでしょう。仮に利用率が低いのであれば、沿線自治体が存続を主張する資格は全くありませんし、ましてや第三セクターに出資する資格もありません。このことは、別に錦川鉄道に限らず、どこの鉄道路線についても妥当するでしょう。

 それに、鉄道の存続で錦町地区を元気にしたい旨も唱えられていますが、これについても冷徹に考え、早めに他の交通手段への切り替えを考えたほうがよいかもしれません。鉄道に関しては有名なYouTuberである鐵坊主さんも動画にされていますし、最近出版されたばかりの福井義高『鉄道ほとんど不要論』(中央経済社)でも書かれていることですが、鉄道が廃止されたから地域が衰退する、あるいは衰退に拍車がかかるという命題は証明されえません。標津線が通っていた中標津町の人口は、1986年に21700人でしたが2018年には23500人に増えています(標津線の廃止は1989年)。一方、宗谷本線の終点である稚内駅を抱える稚内市の人口は、1986年には51200人であったのが2018年には34200人に減っており、石北本線の主要駅にして北海道ちほく高原鉄道池北線の終点であった北見駅を抱える北見市の人口は1986年に43200人であったのが2018年に35800人に減っています。この例だけでも先の命題が成立しえないことは明らかです(勿論、中標津町、稚内市、北見市のそれぞれの事情を検討しなければなりませんが、鉄道路線の存続と廃止が無関係であることはわかります)。

 ローカル線が高齢者の通院に必要な手段である、と主張されることも多いようです。そうであるならば、COVID-19によって全国の鉄道路線の需要が大きく落ち込むことはなかったでしょう。いや、COVID-19は特殊な例であると言えますので、実態を調査するとよいのではないでしょうか(私が住んでいる川崎市高津区でも、高齢者が通院する際には病院や福祉施設が保有する福祉車両をよく見かけます。高齢者向けの病院には、鉄道駅からかなり離れた所にあることが珍しくないからです)。地図で見る限りでは、岩国駅から川西駅の間に比較的大きな規模の病院が多いようなので、或る程度は妥当するでしょう。ただ、駅から離れている所も少なくないようなので、バスや福祉タクシーなどのほうが便利である可能性は高いでしょう。

 錦川鉄道は、設立当初の1987年から一度も黒字を計上したことがありません。おそらく、第三セクターの設立時から、黒字を見込めないことは理解されていたのではないでしょうか。それでも旧国鉄の路線を引き受けたということは、それなりの需要の見込みがあったはずですが、沿線人口の減少が当初の予想を上回っていたということなのかもしれません。現在の岩国市も平成の大合併によって成立したところですが、旧来からの岩国市の領域はともあれ、それ以外の部分については人口の減少が顕著です。これでは公共交通機関の存立の基盤が失われる一方であり、岩国市の財政を圧迫するだけでしょう。沿線の人口が減少すれば、学校もなくなりますから、通学客も減少します。

 通勤通学でだめなら観光路線で、という意見もあるでしょう。しかし、これこそあまり意味のない、とまでは言えないまでも、大きな期待をよせないほうがよい、とは言えます。観光が水物であることは、COVID-19で痛いほど理解されたはずです。東京などでは、再び外国人観光客が多くなっており、東京メトロ半蔵門線に乗ると2019年より増えたのではないかと思わされるほどですが、これも円安という(現在の日本人の大多数にとっては全くありがたくない)事情によるものと考えられます。よほどの努力を積み重ねたりしなければ、観光で稼ぎ続けることはできない、と考えるほうがよいでしょう。まして、観光で鉄道路線を維持することをや、です。

 このブログでJR北海道、JR西日本などの鉄道路線の存廃論議を何度も取り上げています。そこで話題となる路線を見ると、1980年代の国鉄改革で特定地方交通線と位置づけられたところ、あるいは、本来であれば特定地方交通線とされるべきであったが除外要件に該当したために存続したところが少なくありません。除外要件に該当した路線が21世紀になって存廃論議の対象になったりするのです。福井義高教授は、先にあげた著書において、1980年代の時点で赤字ローカル線は全て廃止すべきであったと記しています。極論と思われるかもしれませんし、私自身もそのように考えてはいるのですが、現実を見ると、多くの鉄道維持論者よりも福井教授の立場にこそ妥当性があったものとも考えられます。

 もう一つ、錦川鉄道錦川清流線の存廃議論を目にして思ったことは、果たして、平成の大合併とは何であったのであろうか、ということです。私は、大分大学時代に市町村合併について講演をしたり論文を書いたりしましたし、実際に大分県内の市町村合併の状況を見たりしたのですが、当時度々主張されていた合併のメリットが本当に存在しうるのかがわからず、懐疑的な意見を示さざるをえませんでした。そして、現在、当時の私の考えは誤っていなかったのである、と思っています。


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