2012年度より、東洋大学大学院法学研究科の客員教授として、週に一度、行政法の講義・演習(合併)を担当しております。昨年度は金曜日でしたが、今年度は土曜日で、洋書講読を行っています。
東洋大学と言えば白山、白山と言えば東洋大学ということで、最寄り駅も都営三田線の白山駅であるというのが一般的な認識でしょう。事実、一番近い駅は白山駅です。しかし、私は、田園都市線を利用することから、東京メトロ南北線の本駒込駅から歩いています。地図を御覧いただければおわかりの通り、本駒込駅から白山駅までは近く、歩いても10分もかからない場所にあります。東洋大学へ行くにも、駅の出口から少しばかり北へ歩いて駒本小学校前交差点(交番のある所)を左折し、白山上交差点へ向かう細い道を歩き、八百屋の角を右折して龍光寺の近くに出る路地へ入るという近道があります。
この辺りはお寺が多く、東洋大学のすぐ近くからあげてみると大雄山東京別院、心光寺、一音寺、徳性寺、龍光寺、天栄寺、定泉寺などがあります。歩く範囲を拡大すると様々な発見がありそうなので(何せ、向丘、千駄木などにも近いのです)、じっくり散歩してみようと思っています。
駒本小学校前交差点のそばに、あまり目立たないのですが天栄寺への入口があり、そのそばに「江戸三大青物市場跡」と書かれた石碑が立っています。青物の中でも土物(土が付いたままの野菜のこと)が取り引きされたため、土物市場、土物店(つちものだな)とも言われていました。
そのすぐそばに「駒込土物店跡」という石碑があります。すぐそばに案内板があり、歴史も書かれておりますので、詳しい説明はそちらに任せますが、江戸時代の三大青物市場といえば、神田、千住、そしてここ本駒込でした。また、この辺りは茄子の産地でもあり、駒込茄子として有名だったそうです。
その後も青物市場はここにあったのですが、1937年、豊島区へ移転しました。現在、巣鴨5丁目にある東京都中央卸売市場豊島市場がそれです。三田線の巣鴨駅と西巣鴨駅との間にあり、都電荒川線の新庚申塚電停が近いでしょう。裏には染井霊園もあります。
今回は撮影していませんが、吉祥寺についてもここで取り上げておきましょう。
本駒込駅からも東洋大学からも離れてしまいますが、次の駒込駅の方へ歩けば吉祥寺があります。今や「住みたい街ナンバーワン」でもある武蔵野市の吉祥寺のほうがはるかに有名ですが、実は武蔵野市の吉祥寺とこの文京区の吉祥寺には縁があります。と言うより、本来、吉祥寺と言えばこちらが本場なのです。
地名というのはややこしいもので、祐天寺が目黒区祐天寺ではなく中目黒にあったりするのですが、寺院の名称がそのまま地名になっているような所は、たいてい、その寺院が近くに所在するか、かつて所在していたのです。しかし、武蔵野市の吉祥寺は例外で、同名の寺院はこの辺りになく、江戸時代に移住させられた人々が文京区の吉祥寺を偲んで吉祥寺を村の名称としたとしたようです。
吉祥寺は何度か移転しており、元々は太田道灌が江戸城を築いた際に吉祥庵を建てたことから始まったと言われています。現在の和田倉門の近くだそうです。江戸時代に入り、すぐに水道橋の近くに移転します。現在の都立工芸高校の辺りです。この時に旃檀林(せんだんりん)という学寮が設けられ、、漢学の研究地ともなりました(意外に思われるかもしれませんが、この学寮が後の駒澤大学と世田谷学園につながります。どちらも旃檀林の後身なのです)。1657年の明暦の大火により、吉祥寺の門前町でも多くの者が住居を失います。そこで、武蔵野市の吉祥寺へ移住した、という訳なのです。なお、文京区の吉祥寺が現在の地に移転したのも、明暦の大火の後であるとのことです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます